携帯電話

携帯(電話)が無くては生きて生けない人ってたくさんいます。私が携帯家に忘れた!とでも言うと「それは大変だ、取りにいかなくちゃだね」と真顔で言われたりして、どう反応してよいのか困る事がある。

財布を忘れれば非常に困るし、あたりめぇだが取りに戻る。

汗かきの私はハンカチを忘れると一日中気分が悪いから、大抵は取りに戻る。

一方、うっかりズボンのベルトを閉め忘れたといって取りには帰らない((-_-;)し、ベルトを忘れたことすら気付かない場合が最近増えた(-_-)。

ということは私にとって携帯はズボンのベルトよりちょっと大事程度と言える。その程度のものをわざわざ取りに戻るのは面倒くさい、ありえない。

要は電話嫌いなのだ。メールも結構面倒ですな。年賀状も今年は喪中○○(以下自粛ごめんなさい、ごめんなさい)、引越し案内も未だに出していない。

なんか急に毎月の料金支払ってるのが嫌になってきちまった。んで、安っすい携帯(あるいはピッチorプリペイド)に換えようと思っていろいろ調べてたら、なんかいつもの癖で検索対象ががずれる方向に。▼
なんか中国の携帯電話ってすごいんです。18金ボディにダイヤがあしらっているやつとか、端末の名前が「大富豪****」(**は数字の型番)っていうすごいのとか、もう機能よりステイタスね。(勿論機能重視のものも多くありますが)
腕時計で良く文字盤がダイヤとかのあるが、まぁそういう感覚なのだろうな。カメラにも「ゴールド仕上げ」って金ピカの馬鹿ふざけたやつが限定であったりした(最近は見ない)あーいうのを『買いたくなる「心」の在り方』というのに非常に興味がある。いろんな意味で。
日本の携帯の普及率は7割程度だそうで、3割は未だに持っていない(当然お年寄りと乳幼児も含む)。これ以上はさして増えそうもないらしい。でも中国は都市部でさえ6割、全国ではまだ1割5分程度で、しかも、それにもかかわらず絶対数は日本の倍あったりする。(すげー人の数だな)

そんなわけで高級品という感覚が一部にかまだあるらしい。日本は幸福にも「まだ携帯が一部の人のもの」だった時代、「タイガーのほっかほか弁当箱」みたいなのしかなかったから、ダイヤやら金ぴかやらの方向に行かずに済んだってだけかもしれん。あれ(保温弁当箱)が”金”でできてたら重くてしょうがねぇが・・もし携帯がひとつ間違って「小型化、普及」の方向に行かなかったら、グッチやプラダのマーク付きハンドバックにたいなのも生まれてたかの?

今の携帯の”きりがないゴージャスな多機能ぶり”も日本的金ぴか趣向なのかも。べつに中途半パなカメラは要らないと思うがどうか?
昔ラテカセってあったよな・・カメラにラジオが付いてるのもあった。中途半端なんはだめだよなぁ・・・

どうせなら、テレビのチャンネル換えとかGコード予約もマイ携帯から出来ると便利だな。せっかくボタンが一杯付いてるんだからな。エアコンの調節くらいできるだろう?だめなのだろうか・・

ジッポーライターやスイスアーミーナイフも付いてると、うっかりキャンプ先でワインを買っちまった時”ぬぉー開かないし飲めない!”と嘆かずに済んで焚き火もできて便利だ。

そのうち携帯のディスプレイでテレビが見れるぞ。録画もしたいな。映画のDVDが見れると便利だな。免許も保険証も全部データ化して携帯にいれちまえ。預金も携帯でできるでしょ?買い物もそうすりゃよい。いっそ携帯自体がリモコンで動いてくれると、無くしたり見当たらなくなってもすぐ見つけられて便利だな。掃除や皿洗いくらいはこなして欲しいよ。夜の伽も達者にこしたこたぁないね。それで仕事先にでも勝手に行ってくれて商談まとめてくれるくらいになってくれたら「携帯が無いと生きていけない」大切なモノとして認めてやっても良い。私にできないのは子供を産む事だけよ、みたいな。

△そんなの無くした日にゃ自殺ものだがな・・「昨日携帯便所に落としちゃった・・」で自殺。