そして 敗北宣言

ぼろのノートPCがどうしても捨てられなくて再生していて気が付いた。

MAC使いの何が引っかかるのか?を

そして私のMACへの嫌悪感は近親憎悪であったと・・

多くのUNIX, LINUX, BSD使い や一部窓使い は 動いている機能が欲しいのであって
けしてその躯体そのものには愛玩性を求めていない。

そして、多くのMAC使いや一部窓使い(バイオ好きとかシンクパッドマニアとか)はその逆だ

前者が形而上の愛を求めているのに対し、後者はシンボリズムでありフェチシズムだ。
マカー使いを牧師に見立てたのは大変な大間違いだった。

OSの為に躯体が必要なのでは無く、ぼろBIBLOノートを使いたい為にOSを選んだ私は・・
(わざわざWindows95をフロッピーで入れました)
私は
間違いなく後者であった、と。

所詮 目くそ鼻くそであった、と。

単に、仏像が好きか観音が好きかとの違い程度であった、と。

本質は変わらなかった、と。

それはけして交わることの無い平行線では無く

嫌よ嫌よも好きの内であった、と。

そして、告白します。

金さえありゃ、たとえ使う機会が無くても、

MAC買います。名前はもう決めてます。