2004年 のアーカイブ

斬鉄剣

今日のトリビアで『刀とピストルどちらが強いか』に激しく感動。いやーすごかー・・まさかね、鉛弾ともあろうものが、あのような軌跡を辿って真っ二つになるとはね・・斬鉄剣(@五右衛門inルパン)が物理的に可能だったってのが解っただけでも歴史に残るね。(ただ、足元に二つに割れた弾丸が落ちるってのはやっぱありえないんだろうね)
でも、飛んでくる弾の中心部に当てて衝撃に耐えられれば、鉛弾は構えた人間に当たること無く左右に分かれて飛んでいくってのがびつくりです。もうこれは『ニュートン』の記事にできるくらいのすごい話だ。
ってか、極一般的な平均価格90万円の真剣で900Km/hで飛ぶ鉛弾を刃こぼれ一つ無く真っ二つにできるわけだから、ルパンが追うほどの「斬鉄剣」の性能って一体… やはり核弾頭でさえも。テポドンに備え一家に一つ欲しいところだ。

年金

あー、実は私も年金滞納しておりました。えー・・・ちょっとしたケアレスミスですね。勤め人じゃ無かった頃なんですがね。どういうわけでしょうか・・あー福田さんもですか。いやー奇遇ですねぇ。おやおや、竹中さんもでしたか、いつか某ダイヤ主水社の今は無きエグゼクチブてーな雑誌の取材でお会いしたときは、それはそれは初々しくてらっしゃって、それが、もう、すっかり。。たくましくなられて。
政治家というのも言ってみれば勤め人とは違いますからな、しかたないですよ、ほほほほ、いやいや、ついね、忘れちゃったわけじゃないんですがねぇ。まぁ私の場合政治家では無いんで、払いたくても無い袖振れないって時もありましたが。いやいや、なかなかどうして、詳細は記憶にございませんよね、当然ですよ、んなもん。
まぁ言い訳がましいようですが、年金というのは払ってなければ貰いが少ないわけで、今後少子化が厳しくなるご時世、未来の子供らに負担をかけまい!という親心というんですかね、まぁそういった・・・自分で言うのも何ですが、崇高な考えが無かった訳ではけして無いとは言えない事も無くは無いと言えない事も無いわけでしてねぇ、え?、議員さんであれば議員年金というのもある、ほほほうそれはうらやましいですな。するってぇと、少しくらい払わなくても、そうそう「貰いが少ない」って事は無いのでつか?。(以下見苦しいので略)

ゆとり競争

うちの子の学校はそんなことないけども、最近の小学校で『徒競走』が変、だそうで、事前にタイム計って同じ位の速さの子を集めてグループにしてみたり、順位の旗が無かったり、酷いのになるとゴール前で一旦止まってお手手繋いでゴール!!だとよ。ひでぇもんだね。平等の拡大解釈目白押しだ。

「事前にタイム計ってって・・・一番遅いグループでゲッポな子は救いようがないじゃないか」とか「順位が明確じゃなきゃ負けたら次がんばる気力が無くなる」とか、「みんなで一緒にゴールじゃ足の速い子にとっては逆差別だろう」とかいう素朴で牧歌的な『反発』で済ませてよいのかな。もっと怖い事だと思うのだけれど。

近代国家への移行期唱えられたのは「結果の平等」ではなくて「機会の平等」だ。
徒競走で言えば、同じスタートラインに立ち、同じ「合図」でスタートし同じ距離走る事が平等という事だ。

そして、この徒競走の結果、たとえ順位が劣ったとしても、キリスト教的立場にある人の場合は「神の前で人間(但し信者に限る)は人格としてすべからく平等」であるから、徒競走でゲッポになったからって人間として劣っているわけではけして無いと考える。それを信じている(あたりまえだ信者だもの)からこそ思う存分力を発揮して戦えるわけだし。

つまり、結果まで平等にしてしまおう、という考えは、世界中探しても非常に珍しく、「日本独自の教え」なのである。それが最近出てきた。

いわば新興哲学だ。そうした新興の哲学を義務教育たる小学校で刷り込まれている。どういう結果を産むかも分からずにだ。

誰かが提唱し、多くの批判を浴びた後成熟した哲学として『結果の平等こそ真の平等』という理論が確立したのなら、<その実践としての国家体制を作り上げる為義務教育に盛り込む>のは別に悪い事とは思いません。私は嫌だけど。

しかし、今 これを行っているのは現場の判断なわけだろう。どうなっているのだ?本当にいいのかこれで。

野々村家

「世界不思議発見」(by この木何の木気になる企業) が打ち切られた後の 野々村真一家の行く末が気になって眠れない。

塊魂

塊魂にはまって数日。3つのエターナルも制覇。
エターナルとは: ってか、塊魂ってのは「腸簡単に言えば」糞ころがしゲーです。玉を転がして、多きくする。始めはあまり大きなモンはくっつかないからちいさいものから少しずつ大きなものを真紀子んで、制限時間内にでっかい糞、じゃなくて塊を作ればクリアってゲームなんだけども。
その塊が『とっても大きい』とごほうびとして「制限時間無し」でいつまでも巻き込めませてくれる、そ れ が エターナルステージ。

制限時間内であたふたやっている時は、「あぁ制限時間さえなければ」と思う。エターナルを手に入れた時、「すごくうれしい」

ところが・・・・

実際その制限時間無しステージをやってるとだな。。。… むなしいのだ。あぁ自由って不自由!みたいな。生き甲斐が無い、みたいな。
特に最後のステージ、しまいには「大地」「雲」「ハリケーン」悉く巻き込める。始めは楽しい。しかしだな、終わりがこない。しまいに「水平線まで続く海」だけになる。そこをただひたすらごろごろと彷徨う。水平線の果てに霞がかかった「境界」があるのだが、そこを突き抜けても何も変わらない。やっぱし海が広がるだけだ。こんなものを手に入れたくてがんばったのか、俺は。

ふ。
むなしい。
なによりゲームで無駄になった時間がむなしい。

テレビゲームをやっていて辛いのはクリアした後だと思う。どんな良く出来たゲームも、この「終わった後のなんともいえねー虚しさ」が多かれ少なかれある。大好きだった「ゼルダ」もそうだった。良く出来たゲームほどこのむなしさが大きいようだ。満足感より虚しさが勝ってしまう。これはなんなんだろう?このへんが解ると、ゲームの不振に光明が当たるような気がする。

ウォッシュレットの極意

ウォッシュレットで尻を洗うとき
しりの穴をすぼめるべきなのか広げるべきなのかいつも悩む。

くれよんしんちゃん

PCのキーボード>便座

PCのキーボードって、便器の便座の数千倍の「雑菌」が住み着いている。という検査結果があるそうですね。
なんとなくそんな予感はあったのですが(笑)こう明確に便座と比べられてしまうとかえって開き直ってしまう(おひ)
会社のいろんな人の端末に繋がったキーボード・・に限らず、マウスとかディスプレイの汚れやPS本体とかを見ると、なんつーか性格が出るっつーか。絶対ゴキブリが住んでるとしか思えない躯体のPCとかさ、夜中にカサカサ音しそうです。
一度とある社員のPCの内部掃除した時、ボディーの中じゅう「まっくろくろすけだらけ」。キーボードのキーを全部外して洗濯した事もありましたが、漂白しても取れない「得体の知れない付着物」を「爪で剥ぎ取れる」勇気が欲しかった。
なんでかな、男性の端末より、女性のそれの方が「汚れ度」が高いような気がするのは気のせいでは無いと思うぞ。
意外に男性のキーボードに対する感覚ってのは繊細で、キータッチだの音だのに拘りがちであるし、マウスの動きとか気にする人が多いように思う。だから掃除も結構マメにしてたりする。
ところが女性社員の使っているインターフェイス(特にマウス)ってすごい。ごりごり。ボールローラーに鼻くそみたいのがこんもり盛り上がったまんま「平気」で使ってたり、ディスプレイが指紋だらけでべちょべちょだったり。(うちの会社の婦女子は特別なんだろうか?)ほんのり生ゴミ臭かったり(昼飯の汁とか飛んでいるに違いねぇ)
女性は道具を道具としか思ってないと良く言うけど、確かにキーボードなんかに「愛玩性」を求めてしまうのは男だけなのかねぇ。
勿論全くもって「きっちゃない」まんまの男性もいますけど。独身男の部屋そのまんまみたいな「境目の無くなったキーボード」とか「臭って来そうなマウス」もあります。一見男っぽい?のかもしんないけど、もしかしたらそういう人ほどむしろ女性的なんじゃないだろうか。