デジタル一眼ってやつを買った

寄居浜

やっとだ。これでようやくスキャナーとおさらばだ。

しかし、こう、なんて言えば良いのかな、最近のカメラのデザインてどうしてこう「サイバーチック」なんだろうか。撮影器具というよりIT機器とか携帯っぽい。

カメラというんは、実は使っていると汗やら油やらで結構ギトギトになるのだ。IT機器のような使われ方とちょとイメージが違う。どっちかというと『工具』に近い。実際仕事で使っていると多少の雨でも使わざるを得ないし、ホコリがあろうといちいちバックに閉まっていたら面倒だ。暑けりゃ汗まみれになるし寒けりゃ結露で濡れる。

はじめは丁寧にバックに入れるんだけど(そうしないと全部入らないからねw)撮影しているうちにごちゃごちゃになるから傷だらけにもなる。要はレンズに傷が付かなきゃいいんだ、程度にしか扱わない。俺だけ?

撮影後きちんと手入れしてないと、もうあっという間に「粉」は吹くし「エモイワレヌ香り」もするのだ。だから撮影が終わったら磨く。磨いて磨り減って地金が出たあたりのダンディズム(あほ)、それが今のカメラからはちぃーとも感じられない(プラスチックかせいぜいアルミじゃしょうがないけども)。磨り減るともう、妙に「貧乏くさい」んさ。

だからついつい傷つかないように撮影時も気にしてしまうんだが、それじゃ貧乏くささダブルヒットだろう。

いつからカメラはこんな女々しい機械になっちまったのか。ジュジアーロには悪いがNikon F3あたりからだと思う。持ちやすさ、ってのが余計なお世話だったのだ。それまで「道具に体を合わせ」ていたのがその必要が無くなって、カメラが人に合わせるために真鋳を捨ててプラスチックになった。

さらに輪をかけて、デジカメ特有のあの「背面のディスプレー」。どうしてもほっぺが付くんだよ!そこにわ!。で画像確認しようとするとギトギトが気になるっつーんだわいね。いちいち「ごしごし」ディスプレーを磨く、という行為が嫌だ。嫌だって言われてもしょうがないんだろうけども。

そのうち「あぶら取り紙」がカメラマンの必需品になったりして。ヨドバシにはレンズクリーナーと油取り紙がセットで売られる日も近い。常にぺたぺたとほっぺの油を取りながらシャッターを押す。やぃやーオカマくせー商売だぞこりゃ。

画像を確認するという行為は又、「本当に写っているんだろっか??」という事をいちいち確認しながら次に進むわけで、これもどうも性格に合わない。仕事するには便利だろうーが、趣味で写している写真までいちいち確認してしまうというのはどうなんだろう。

フィルムなら、そんなの現像してみるまで分からない。写ってなかった・・やってもうた・・というのって当たり前だっただろう。だから「頼む!写っててくれ!」という祈り(大げさだけど)みたいのがあった反面、その分シャッターを押す時にこめる「気合」みたいのが必ずあった。

失敗するから次にはどうにか成功させようと知識も詰め込む必要があった。どうもデジカメで撮ると、あまりに安易に「写っちゃう」んで張り合いが無い。写真学科なんて大学で写真を教える場所、もう要らないね。もともといらないと思っていたけどこれからは本当、いらないや。大学で写真なんか勉強するんだったら、タレント養成所に入ったりボイストレーニングしたり普通に一流大学行ったり、小説書いたり、さっさと「フォトグラファー」肩書きの名刺作っちゃった方が絶対良い。

本当、(デジカメってやつは)仕事には便利だろうけど、その分写真家のギャラは下がる一方なのも分かるよ。