はたらけど はたらけど

わが生活 楽にならざり じっと手を見る・・・と石川啄木さんは申しております。

東北地方のとある山村。たたずむ男。やせた土地を耕せど耕せど暮らしは少しも楽にならない・・じっと罅切れた手を見ている・・・

といった光景を勝手に思い浮かべて悲しくなる歌ではあるが、啄木さんの生活が楽にならなかったのは、芸者遊びが原因であったそうで、しかも職に就いたかと思えばすぐ辞める、の繰り返しであったそうだ。

啄木さんは寺の息子であった。寺の息子がなんぼなんでも、そないに貧乏なわけ無いのは篠山紀信さんを見ればわかるだろう。(根拠無し

考えてみれば東北地方のやせた土地ってステレオタイプイメージが浮かんでしまう時点で、もう頭脳が昭和石油ショック育ち啄木さんは明治の人だったことを忘れてはいけないのだ。

一方でまともな職に付かず芸者遊びにほうけていながら、こういった歌を詠んでしまうあたりが、奇才たる所以だ。

と見る人も多い。けどその見方はまだちょっと浅い。死に損ないのくそ坊主ならそのくらい達観してても良いが、啄木さんは27で夭折しているんだし。

だいたいが、啄木さんはどうみてもお坊ちゃまだ。明治のお坊ちゃまにしてみれば、「まともな職」という感覚すらなかった。勤勉が美徳という感覚を日本人が皆持つようになるのはもっと後の話だ。そもそも「まともな職」ってなんなんだろう?誰かが儲ければ誰かが必ず損をするのがこの世の定めなのだから。

啄木さんの詠うところの「はたらく」というのは文学で身を立てる事であって、労働者として時間の切り売りをして日銭を稼ぐことでは無かったはずなんですな。だから続かない。でも芸者遊びもしたい。借金する、返せない。そのうち嫁さんは病気になる。どういうわけか親父は宗費を払わず寺をおん出される。

しょうがないから雇われ仕事をしてみるがやっぱり続かない・・・

書いても書いてもなかなか思うように楽に暮らせない。

じっと(その文学を生み出す器官であり、文才というものの代名詞としての)を見つめ、文学で食べるという「手段」を選んだ事、自分の才というものの有り無しや、もろもろのやるせなさ、不甲斐なさを自答している己の様を詠んでみた・・・。

ま、そんなところなんではなかろうか。非常に若者らしい青臭くてロックな歌だと思うがどうか。やはり農村は似合わないよ。


全く根拠が無いわけではない。なにしろ篠山センセは日芸写真学科に通っていながら東京綜合写真専門学校にも通うっちゅう「どんだけ~」な人であり、電通だか博報堂だかに売り込みに行く時はリンホフ(当時は家が買えたと言われている。今でも国産車と同じ位はする)をぶら下げていったそうだ。