誰でも良かった、わけではないだろう

 秋葉原で凄惨な事件が起きました。

 ついこのあいだ

少なくとも「人を殺せば死刑になれると思ってやった」といった類の事件があるこの世の中で、「死ぬ気がなればなんでも出来る」なんてあまし簡単には言ってはいけない。

なんて書いたばかりのタイミングでこんな事件が起こって、ちょっと気持ちが悪い。
 容疑者も

「死ぬ気になれば何でも出来る」というのは「死ぬ気にならなくても何でも出来る人」の言葉だ

というようなことを掲示板に書き残していたそうだ。

 誰でも良かった、この言葉、実はそうであるようで、そうではないですよね。衝動的なものではなく計画性が非常に高いし、その対象が秋葉原のホコテンで楽しそうに歩いている人である事にあったからこそわざわざ静岡からやってきたのだし。

 いつぞやの小学校の事件も、その小学校に意味があったし、今年起きた駅で突き落とした事件や、土浦の事件もきっと対象が駅になるなんらかのこと、駅で頭にくること、があったのだろう。実際通勤電車に乗るのはかなりのストレスだ。いや、あれが趣味な方もいるかもしれないな、うむ、すまぬ。

 あのようなナイフを簡単に売らないようにする、とか、掲示板の犯行予告書き込みの監視を強くする、とか、犯人が二次コンだったとか、親を引っ張り出してコメントを求めたりって報道ばかり目に付く割に、派遣社員の現状についてしっかり報道する所が少ない。無いわけではないけど、バランスが取れていないのが気になる。やはり世界企業がバックについていると扱いづらいのかと穿った見方をしてしまう。

 一方で容疑者が行った過去の掲示板の書き込みが次々明らかにされ、ネタにされている。どう考えてもこの報道は意味があるのか?ということまでネタにされ続けている。いつか飽きられてしまうまで続くのだろうか。何かが間違っているような気がする。

 こういった容疑者のような現状にある人はたくさんいるわけで、皆普通に生活をしているのだから、このような犯行を犯した容疑者を許すべきではない。という当たり前の事をまずことわっておく。

 その上で、こうしたどこか心が不安定になっている人や社会的弱者と呼ばれる人をケアできるシステム、事件の芽を摘めるようなシステムが必要なのではないかな。ただ「もっとしっかりしろ」とか「がんばれ」言うだけでは何も解決せん。

 おまえ、絶対「誰でも良かった」わけではないだろう!というところをもっとしっかり追求せんことには先に進まないような気がする。