2008-06-14
「ふつう」の人の処遇
なんといえばよいのだろうか。
小学校の騎馬戦に一人残される
というような記事を見るにつけ、悲しくなる。
秋葉原の事件の容疑者や、潮見での事件の容疑者も、みな知っている人は「まさかあの人が」と言われる。(秋葉原の容疑者については事件後いろいろなことが明らかになって今はそう思わない人も多いかもしれないが、起きたばかりのときはそういう感想の方が多かったはず)
学校の通信簿は「よい」「ふつう」「わるい」
大抵これに種別される。
細かくなって5,4,3,2,1、となったところでま、ようするに「3」は「普通」だ。
本来「ふつう」は喜ばれるべき位置だったように思う。一億層中流社会の頃までは。
で、今はどうだろうか。
「よい」子は誉められ、たとえちょっとくらい人間性に問題あっても社会的にはうまくやっていける。
「わるい」子は なじられる が 目立つ ので最近は特に対処が案外緻密になっている。
テレビドラマを見ても、悪い子があまり悪く描かれない。勉強は出来ないけど本当は良い奴なんだ、といった流れが非常に多い。不良と呼ばれても、恵まれていなかっただけあってそれなりに良い教師に恵まれればなんとかやっていけるのではないか?という風潮が大道を行っているように思える。
その成否はともかく、気になるのは「ふつう」の子供たちだ。
秋葉原通り魔事件の容疑者は中学までは「よい」子だったが高校は今年偏差値70だかのまぁ県内で一番の高校だから中に入れば「ふつう」だったろう。いや、そんな高校なら「わるい」部類に入っても世間的には十分「よい」んだけど体感的に「ふつう」感が強いと思う。
「ふつう」の子というのはどうしても相手にされにくい。無難であり、手のかからない子とされがちだ。相手にされたくて「ふつう」の子や、「よい」子まで、悪いことをしてみたりする、そういう子供は案外多いものだ。
昔は日本は階級社会であったし、身の程を知り、その中で「普通」に生きることがもっとも「善」だった。
高度成長期は基本人民は平等であり、好きなことが出来る、と言われながらも、一億層中流という意識があるからなんだかんだ言っても「ふつう」でも満足できる道があった。
では今はどうか。
一億層中流というのは全く嘘で、「勝組」「負組」という基準の分からない差別がある。世界でひとつの花※だかなんだか知らんが、「オンリーワン」で満足できるほど現実の世の中は甘くない。オンリーワンと言っても結局は「その他大勢」「有象無象」「ただ良い人=どうでもいい人」でしかないことに若い連中は気付いている。
生まれてくる子供に対し、果ては博士か大富豪かという期待も躊躇無くかけられる。
てめぇの子供であることも忘れて。
実際、今の日本は努力次第で何にでもなれる。(はずだ)
スタート地点は平等だ。(の、はずだ)
でも運動会のスタート地点とは違い、現実は理不尽であり、やはりスタート地点は生まれたときから違う。(運動会についてはそれで正しいと思う。結果の平等は目指すべきではない)
ドロップアウトしきった「悪い」子のサポートは大分に良くなったと思う。前出のドラマにしても世論を誘導し、まるで「悪い」子の方が「よい」子より「いい奴だ」という風潮さえある。
たしかに「よい」子は「やな奴」でもなんとかなる場合が多い。
でも「よい」から「ふつう」にドロップアウトしてしまったとき、そこで留まらず、どうしてここまで「悪い」ところまで落ち込んでしまうのか?
「ふつう」はどうしようもない、「ふつう」の生き方では満足できない、それが今の子供たちのプレッシャーになっているのではないだろうか。
だいたい「勝組・負組」って何だ。「普通組」はどこ行ったんだ。
通信簿の
「よい」「5」「4」=勝組
(基本いい奴ばかりだけど、たとえやな奴でもなんとかなる組)
「悪い」「1」「2」=負け組み
(基本問題あるけど、対処によっては有望だったり案外いい奴の組)
「ふつー」「3」=それ以外のどうでもよい人 (・・・どうでもいい組)
こういう感じなのか?本当は一番多いであろう「ふつー」を最も重視すべきではないか?
だいたい「俺は勝組」
と言ったところで概ね「ふつう」ぐらいだろう? そんなに幸せかお前??
私はいままでの人生の中で出会った中で一番嫌いな本がある。それはWなんたらとかいうくそイラストレータが書いた「金塊巻」という”くそ本”だ。その本を高校生の時に読んだ。
マル金
マルビ
の二元論。
世の中のまじめな普通の人をこれほど卑下した本は無い。こんな”くそ本”が売れまくったあとバブルが来た。あれ以来日本は腐ったと思う。たかがこんな「くだらな本」の作者にこれほど敵意がわいたのはこいつが初めてだったことを、なんでかな?思い出してしまった。
※世界で一つの花 に関して
あれはね、ゲイである作者の性癖がオンリーワンでいいじゃないかという歌だ。全ての人生に当てはめてはいけないんだ。