小中学校への携帯電話持ち込み禁止にー文科省が月内通知

 うちでは子供に携帯電話は持たせていない。親からして携帯嫌いであり、どうも子供も似ているようでそもそも興味が無いようだ。よしんば「買って欲しい」といわれたとしても「駄目」と言うだろう。どう考えても必要性を感じないものはいらない。何かあれば学校に電話して教諭を通して伝えればよい。長女の通う中学校は私の職場の近くだし、次女の通う小学校は嫁の職場の近くだ。なにより数十年前まで携帯電話などだれも持っていなかった。今から思えば「不便だったな」とは思うが当時はそれが当たり前だったから不便だなんて感じようも無かったわけで。

 子供が携帯を持っていて職員室を通さずに連絡が取れるということは、いわゆる儀礼的な挨拶、社会的・公的な人との会話をすっ飛ばして、すぐ家庭内の会話に踏み込めるということでもある。親としては便利だ。同様に子供同士が携帯を持っていると”友達同士の会話”に入る前の手続き
「夜分恐れ入ります、私○○と申しますが……」
という挨拶が必要ない。電話は”コミュニケーション手段”とされるが本当にそうなのだろうか?

「となりのトトロ」というアニメで長女が勤務先の父親に緊急の連絡をするシーンがある。

 まず電報(!)が届く。文字数で値段が変わるから内容は必要最低限。不安になった長女が父親に連絡を取ろうとする。電話を持っている人に事情を話して電話を借り、勤め先で父親を呼び出してもらい、やっと会話に入る。一つの事を解決するために何人もの”他人”が介在していく。

 このシーンを現代に置き換えたらどうなるだろう。いろいろパターンは考えられるが……

カンタ「今病院からうちのかーちゃんに電話があってさ、おめぇのかぁちゃん、今度帰宅できないってよ」
五月「な・に・そ・れ~。ちょ~いみふ~、ちょっとパパに聞いてみる」と携帯を取り出す。
五月「パパ~、ママが帰ってこれないって。病院から。ちょっとどーなってんのー?」
パパ「ん~じゃ病院に電話してみるから」
五月「ねーママに直接かけちゃだめ?」
パパ「ばか、病院は携帯は禁止なんだからしょうがないだろ」がちゃ。
ママ「はい、日下部です(小声で)」
パパ「おー俺俺、今大丈夫?」
ママ「ちょっとまって、今病室出るから」
……
ママ「どーしたの急に」
パパ「なんか今度帰ってこれなくなったんだって?」
ママ「あーなんでもう知ってるの?あとで電話しようと思ってたんだけど、実はね・・・・・・」

 数分後 着メロが響く。

パパ「五月か?俺俺、パパだ。ママな、風邪ひいちゃったらしいから今回は帰宅は延期ということになったらしいよ」
五月「えー、まじー、五月つまんない。ね~パパこんど新しい携帯買って~」
パパ「いみわかんないから。じゃ」がちゃ
五月「ちぇっ」
メイ「メイもケータイ欲しい~~~ぎゃー」

 終劇。

 全然つまんねーし。トトロ出番ねーし。

 私は学校で携帯が禁止だろうが推奨されようが、持たせる気は”はなっから”無い。携帯持たすくらいならバナナ持たせる。だから禁止されようが一向に構わないんだが、問題は”なにもこんなこと文科省が指導することか?”という点だ。
 それぞれ家庭の事情はあるし、既に子供との電話での会話が重要な日々の営みの一つになってしまっている家もあるだろう。なんでもかんでも買い与える馬鹿親はともかく、世の中物騒だし、GPS機能は有用でこういった良い意味での進化を反故にする権利は文科省には無い。

「携帯を持っている子は持たない子より学力が低いという結果」が出たと言う。

「裏サイトなどでいじめの元」とよく言われる。

 こういったネガティブな面は、通話先制限、メール送信先制限、ネット閲覧制限がついていればクリアできる。実際そういった制限つきキッズ携帯を持たせている親からは反発が多い。

 携帯メーカーはもっと本腰を入れて、如何にも「ガキ向け」というダサダサの子供電話ばかり出してないで、ちゃんとしたデザインで機能制限した携帯を出すべきだ。