2009-10-19
昔の写真と阿賀野川と太股の思い出
新潟写真館にいれてあった大昔に写したこの写真の場所がどうにもこうにも記憶に無くて、ずっと永らく「撮影地不明」だったのですが、こちら(おここ様ブログ) で判明。やーホントスッキリだ。そうか、水族館のとなりの野球場ね、そんなのあったよなぁ。忘れていたよ。ほんと目から鱗(?)
いつだったか、この1977当時の信濃川南岸の写真を掲載当時、「ここって、何処よ?」状態だったのをこちら(廃線跡探訪)の管理人様に「ここではないか?」と当時の航空写真まで使って確認していただいた事を思い出しました。(今の県庁が建っているのがこの辺)
なんだろうね、ずっと「靄(もや)」がかかっていた記憶がスカッと晴れるこの感じ、気持ちいい。記憶を失った人がそれを取り戻した時はこういう感じなんだろうか。
’77 年といえば私は小学6年生である(昭和52年)その頃の記憶が曖昧なのはしかたないとして(笑)、’80 年のこの野球場の写真を写したのは中学2-3年の時である。普通覚えているだろうに……と思うのだが、この写真を写したネガの他のコマの撮影地があまりに広範囲で、鳥屋野潟付近、いきなり飛んで万代橋のあたりから信濃川河口付近の海なんかが写っている。恐らくチャリでうろうろして写したものと思われるんだけど、あまりに脈絡が無い。きっと何か嫌な事でもあったんだろうな(笑)
ただ、この先にあった水族館に行った覚えがあるのだ。カメラを持って一人で。
あれはこのときだったのかもしれない。そう、いつもペンギンが寂しそうにしていたあの水族館だ。でもその写真は撮ってないんだな。フィルムはネオパンSSのはずだから、感度が足りなかったんだろう。あの水族館薄暗かったし。
というか、普通中3位の男子が一人でカメラぶら下げて場末の水族館に行く図ってのは、かなりキモイ。あんげとこカップルでさえ行かないだろう。不倫の待ち合わせにはいいかもしれないが。(実際不思議な熟年カップルはよく見た)
この野球場の写真はおそらく春先のものだ。秋ではない。雪は無くなったけどまだ芽吹いていない、という頃だと思われる。中3の秋以降写真をぱったり撮らなくなったからだ。
どうもこの頃のネガを見ると、「人気の無い所」ばかり行って写している。暗い少年だな。友達と写真を撮りに行くといった事もしなかった。
いや、一度だけある。級友がカメラを買うというので付き合って、その後験し撮りをすると言うんで、本馬越のあたりで電車の写真を一緒に写した。実はその時始めていわゆる特急電車を近くで写したのだが、「白鳥」だったかのトイレタンク排水が飛んできて驚いた。ってか二度と電車など撮るまいと密かに思ったものだ(ごめん)。でその後飛行機を撮る事にしたんだった。電車はおめーらにまかせた。俺は飛行機にする。飛行機ならさすがにんこ水引っ掛けられる事もあるまい、と思ったからだ。
当時の(今もか?)新潟空港ってのは日に数便しか飛ばないから、空港に行ったからと言って写真を撮っている時間なんてほんの僅かである。他の時間は何するでもない、ぼ~っとしてるだけ。中3の夏、部活の無い日はいつも空港西脇の海岸のテトラポッドの上や東の阿賀野川の堤防に居た。夏なのに、何やってたんだ俺。
これが羽田空港なんかだと「入れ食い」じゃねーけど、列成して飛行機が飛んでくるから忙しくってしょうがないが、新潟空港だと1-2時間に1本だ。時間通りに来ることも無かった。私は釣りをする趣味が無いんだが、この感覚はかなり釣りに近いのじゃないかと思う。写ってようがどうだろうが、そんなのあまり関係なかったと思う。どうせまた来るんだし。それより「過程」が楽しかっただけだったろう。なんか、人気の無い所でぼんやりしているのが好きだった。あぁ暗い。
そのくせ、たまに写真を撮りに来る人がいたりすると良く話し込んだ。阿賀野川側はよくアマチュアカメラマンが居た。
そんなある日、やはり阿賀野川側でいつものようにカメラを草むらに寝かせたまま「ぼーっ」としていると、私と同年代の可愛い娘さんを連れた航空機マニアの親父さんがやって来て、ひとしきりカメラ談義をしていった。娘さんはこともあろうに
ホットパンツ&タンクトップ姿
であった。私は娘さんのちょいと汗ばんだ「まぶしい太股やらもろもろの良いところ」に釘付けであったものだ。若さゆえ。飛行機よりそっちを撮りたくてしかたなかったんだが、親父さんの話がこれまた長い。飛行機が来れば来たで
「ほら、きたきたきたきたぁぁぁ!君もほら、撮りなさい、ほれ、。。。なにぼーっとしてんだい!」
といった調子であり、閉口した。
娘さんも、カメラを首から下げていた。あまり写真には興味はなさそうで、飛行機が頭の上を飛んでいると怖そうに見ていた。そりゃそうだ。かなり間近を飛んでいる。今は入れない区域かもしれない。どうなんだろう?なんでこの娘はこんなところにいるのかな?どこの中学だろうか?彼氏はいるのか?
写真なんか撮っている場合では無い。
この日以来、「飛行機なんかのケツ追い回している場合じゃねぇぞこりゃ」と切実に思った。もっと追うべきケツが他にあるだろう!俺!。
その後もまたあの娘さんに会えるかな?と思い、阿賀野川べりに何度か足を運んだが二度と会うこたぁ無かった。もしあの親父が一人でいたら逃げようと思っていたが。
で、夏休みが終わって一気に写真熱が冷めたんだった。秋になって念願の彼女が出来て、だから秋以降写真を撮る機会が激減した。
思えばあの日の阿賀野川のまぶしい太股が私を変えたのだと思う。くだらないけど人生なんてそんなもんだ。太股と言う字は太陽に似ているな。あの娘さんは今どうしているのだろうか。良い感じのおっかさんになっているんだろうな。顔は全く覚えていないんだが(笑)、あの健康的な太股だけは瞼に焼き付いている。イメージとして「ラムちゃん」みたいな感じ。思えば「肉感的」な感覚で女性を捉えた初体験だったかもしんない。
白鳥がもし私に「んこ水」をひっかけなんだら、飛行機撮ろう思わなんだら、そしてあの太股に出会わなかったら、きっと私の人生は何か違ったものになっていたように思えてならんのですわ。これはネガの記録簿なんだが、見事に1980、8月以降写していないんで笑える。