2010-07-11
懐かしいブリジストンのチャリ
小学生の頃買ってもらった自転車の写真がどうしても見つからなかった。もう毎日のように乗っていたし、ここの写真館にある昔の写真はこいつに乗って撮りに行ったものばかりだというのに、MYチャリの写真を一切写した記憶がない。
実は、「興味の中心にあったもの」が微妙にズレていたのでこうなってしまった。小学生の頃はもう自転車が好きで好きでたまらなくて毎日のように何処かしらに出掛けていたのだが、やがて「単に出かけること」だけで満足できなくなって(まぁたいていはそうだ)中学生になってからというもの、自転車に乗るのは「写真を撮りに行くため」という、目的から手段に変わったわけだ。
結果、この自転車に乗ってあれほど写真を写したにもかかわらず、写っているのは「海」やら「飛行機」やら「たんぼ」やら「夕日」やらもろもろであって、この自転車は写されることが無かった。ストイックなまでに被写体に自分の日常が出てこない。なんだこれ。
これが高校生になってバイクに乗るようになると、嫌ってほどバイクの写真が出てくるんだけどね(笑)もうさ、風光明媚な土地に行っておきながら必ず手前に「愛車」が入り込んでいる。ピントは愛車であって風景ではない……。
それでも「もしかしたらワンカット位は気まぐれで写したカットは無いものだろうか」と必死こいてネガをひっくり返したら、
ありましたよ。ワンカットだけ(笑)。昭和55年(1980)3月撮影とある。
買ってもらったのが小6の時(77年春)だから、4年目を迎えた頃か。チェーンカバーが無いな(笑)。さすがに中学生にもなると、あのナウでヤングなカバーに一抹の恥ずかしさを感じたらしいな。でも何時外したんだろうか。
このリアサイドに付ける折りたたみのカゴって当時流行っていたんだよ。今は見かけませんね。バランス悪いもんね。
クランクがなんか微妙に「楕円」ですが、これは歪んでいるのではなくて、デフォルトで「楕円クランク」だった。漕ぎ出しが楽だとか、そうおいう理由だったような気がする。あまり流行らなかったみたいだけど、未だにブリジストンのラインナップにはこういったクランクを採用したのあるんじゃなかったっけかな(違ってたらごめん)。ただね、しょっちゅうチェーンが外れたよ。
なんかこの写真見ると、三つ子の魂じゃないけど、40過ぎても似たようなスタイルにしてしまうのねッて感じでちょっと恥ずかしいね。
ただ、なんだろう、このちゃり、何年式なんだろうか??買ってもらったのは間違いなく小学校の6年(1977)の時のはずだ。6年の時の夏休みの宿題もこれに乗ってやったんだから間違いない(と、思う)。1976式とばかり思っていたんだかライトの形が1978年式っぽい。
たぶん、これだな、1977の少年ジャンプの宣伝だそうだから、この時のモデルだろう。それにしても志村けんが若いって以外はちょっと「どうなのよこれ?」って気がする宣伝だ。もうちょっとやりようは無かったのか。
巷の少年向けちゃりんこは派手派手路線を「暴走」をした挙句、後戻りできないまま「カマキリ」と呼ばれた「どシンプル軽快車(ママチャリの元祖)」に一気に駆逐されてしまったそうです。このへんの歴史はこのページが面白くも物悲しい。昭和40年代前後世代にとっては涙なしには見れないのでぜひ目を通して欲しい。
▼
私も高校に入ってからはおっかさんの買い物チャリばかりに乗るようになり、さらにはバイクに乗るようになり、かわいそうにこのチャリは親父に「セミドロップハンドルを逆付け」されアップハンドル車で余生を過ごしてました。
写真の自転車はブリジストンの「ヤングウェイ(BSディスク)」だと思います。私が持っていたのはこの後に発売された「ヤングウェイXディスク」で、1977年春購入です。この2車はディスクブレーキがBSディスクかXディスクかというのが大きな違いですが、思い出せる外見上の違いは次の通りです。
・チェーンカバーのデザイン(Xの方はパンチングメタル風)
・ディスクブレーキのエンブレム(「BS」か「X」か)
・ライトの上の荷台?の形状。(後方が円形か角形か)
写真からは3番目しかわかりませんが、私のは角形でしたので上記の判断となりました。ジャンプの広告のヤングウェイはシンクロメモリー搭載車ですが、我々のはその前のものです。
シンクロメモリーとたいそうな名前がついていますが、たいしたものではありません。それまでの変速レバーが連続的に動かせるようになっていたものを、数字の所でカチッカチッと止まるようにして数字と実際のギヤが一致するようにしただけのものです。(機械的に止まるようにしただけ。こういうのをメモリーと言うのか?)
そのほかブリジストン独自の技術として、記事中にもあった楕円の「オーバルギア」、断面が三角形をした「トリアルタイヤ」なんてのもありました。オーバルギアはクランクを取り付ける位置に△マークがあったように記憶しています。
私の中学校では丸石自転車とブリジストン自転車が大部分を占め、その比は7:3位で、数%がミヤタやナショナルでした。丸石はほぼ全車種フォグランプ付で、前後輪ドラムブレーキ車、後輪オイルディスク車など、ラインナップも充実していました。ブリジストン所有者は多分に負け惜しみ的に技術的優位性を自慢したものです。(なんかVHS対ベータみたい(^o^))
そうでした、思い出してきた(笑)
Xディスク!
本当はそっちが欲しかったんだけど親父が「自転車にディスクブレーキなんぞいらん」ちゅうて買ってくれなかったんだ。
なんていいましたっけ、車輪が廻っているとギアも廻っていてペダルを漕いで居なくても変速できる方式を採用していたメーカーとシンクロメモリー派とで「どっちがいいか」と盛り上がったのを憶えてます。(シンクロメモリー派は少数だったと思う…確かにこいつは「メモリー」と呼ぶほどのもんでは無いです)
あと油圧ブレーキ(Miyata)は絶対不必要だとは思いつつも憧れたもんです。お馬鹿でロマンな時代でしたねぇ。一体あの流れはどうしてああなっちまったんでしょうか。どんどん過剰装備で巨大化していく、まるでヤマト。この路線が少しでも方向転換できて生き残っていたら、と思うと残念。世代が違うとこの手のチャリは東京ボンバーズ同様全く話合いませんからね~。
もっとゴテゴテとメーカー名とか車名とかストライプやらのステッカーがフレームに貼っつけてあったような気がしていたけど、写真見ると真っ黒ですね。チェーンカバー同様で、多分剥がしたんだな、俺。今ならライト周りもキャリアも取っ払う所だ。ってか、なんだかんだ言って、その後乗ったバイクなんかも「可能な限り余計な物は取っ払う」方向で改造(?)する癖が付いてしまった。おそらくこの自転車が逆説的に「余計な物と何か」を教えてくれた(笑)んだと思われます。
>車輪が廻っているとギアも廻っていてペダルを漕いで居なくても変速できる方式
FFですね。一人だけ乗ってるやつがいました。「ナショナル自転車エフエフ!」なんてCMがありましたし。当時は知りませんでしたがフロントフリーの略のようです。
>この路線が少しでも方向転換できて生き残っていたら、と思うと残念。
同感です。今発売すると意外と売れるかも。
>東京ボンバーズ
日米対抗ロー…。ルールがよく分かりませんでした。
この時期の少し前まで電子フラッシャーがはやり、これ以降は他の装備が増加していきましたね。したがって、我々の乗ったものがスポーツ車としてはシンプルでちょうどよかったように思います。私は自分でフラッシャーを作ったり、ブレーキでテールランプが点くようにしたりといろいろ改造していましたが、結局はずしてしまいました。その自転車はというと、残念ながら大学時代に盗まれてしまいました(;_;)。ロビンフッド保険に入っていればよかったかな(^^)。
あの頃は自転車を通じてブレーキのしくみや変速のしくみ、整備のしかたを自然に覚えていったように思います。ちなみに私の姉は女性用ではありますが5段変速車に乗っていました。そのせいかどうか知りませんが、自動車は好んでマニュアル車に乗っています。(GT-Rなんてのにも乗っていましたが、選んだのはダンナではないようです。)
FF!それか。私の周りにもいました。ミヤタも同じ機能じゃなかったですかね?記憶違いかな。
お姉さんマニアですねぇ。GT-Rかぁ。かっちょいいっすね。
自転車の変速機というのは女性はあまり好きでは無い、というかカチャカチャ変えるのが「面倒」と感じる、というのを聞いたことがあります。元はと言えば変速機って非力な女性子供用に開発されたのに。
スピードやダッシュに興味が無いというのも関係してるのかもしれませんが。
うちは嫁と長女はあんましギアチェンジとか興味なさそう。次女はなにやらひっきりなしに「かっちゃかちゃ」やってるが……(どういうわけか坂道で高いギアに入れてたり、多分良くわかっていないんだと思われ)
>うちは嫁と長女はあんましギアチェンジとか興味なさそう
親の義務として教えてあげなくては。アッラーのおぼしめしのあらんことを…。