自由研究

てなわけで夏休みも終わって雨の中帰ってきた。帰りの日に雨とはラッキー。

結局子供らは持っていった宿題に殆ど手をつけずに帰ってきたorz。昨年は近畿地方梅雨明けしてなかったから宿題がはかどったんだが、ま、毎日晴れじゃ仕方ないか。

で、今問題は息子の自由研究をどうすべか?ということらしい。自由研究というものは自由に子どもが研究するから自由研究のはずなんだが、ほっといたら結局「何もしない」で終わる事必須だと言う。研究するもしないも自由というわけにはいかんらしい。

子供の頃夏休みの宿題と言えば自由研究しか無かったように記憶しているのだが、どうやらそれは「自由研究以外やらなかったから」らしい。ドリルや絵日記だのやったのは、夏休みが終わって学校が始まってからであり、夏休み中は「自由研究」しかやらなかったのだ。その割には自由研究で何をやったのか「全く覚えていない」俺。多分たいしたことやってない。

唯一覚えているのは小6の時、笹出線(笑)の信号の「青」と「赤」の時間を測ってマップにした。
どんだけ暇かぃ!
ってな研究だ。でもこれって時間によって(信号の「青」と「赤」の時間が)違うみたいで、ちっとも役に立たなかった。

なんだろうか、このころから「世の中に少しも貢献しない研究」をあえて選ぶのが好きだったようだ。今なら真っ先に仕分けされるような感じか。単にひねくれていただけかもしんない。にしてはくそ暑っちぇ中、信号の時間を淡々と測っては無駄に記録していたわけで、「研究」というよりはある意味「芸術」に近い行為とも言える(それは無い)。

私は要領が良かったから、自由研究以外の夏休みの宿題なんて9月1日の午後だけでこなせたのだ。と思いたい。(実は提出日朝までやった記憶がおぼろげにある)。こんな親だからきっと子供らもいくらきつく言ったって同じ轍を踏むに違いない。ふ。まぁ小学校の勉強なんてそんなもんだ(違うぞ)。

しかしながら、長女は案外真面目に夏休みが終わる前に終わらせていた。(本当に要領が良いというのはこういう事を言うのだ)
次女はまぁ、毎年私と同じ轍を踏んでいる。で、懸念される長男なわけだが、恐らく「基本何もしない」派。しかも派閥の長だと思われる。

  1. いち早く「自由研究は何をしようか!」とワクワクする派
  2. 「自由研究どうしよう、どうしよう」と事あるごとに悩む割には結局何もしない派
  3. 「自由研究?何それ?」派

の3番目。

「自由研究って何すればいいの?」
「好きなことをやればいいんだよ」
「じゃ、けん玉とヨーヨーとカード遊び」
「いや、そういんで無くて、観察とか、工作とか」
「ふーん、で何すればいいの?」

……多分こういった流れかと思われ。観察や工作が「好きなこと」の範疇でなけりゃどっしょもねぇよな。まず自由研究の意義から教えなくてはならない。ハードル高っ!。