大学というところ

オラが春。息子が新年早々A型インフルエンザに罹りやがり、引きこもり。

嫁の貰った年賀状に、学生時代の友人の息子が同じ大学に通っていると書いているのがあり。もうそんげ歳か。老けるわけだわな。

大学といえば、大学って実は「卒業すると(証書があると)それだけでいろいろな面で役に立つ大学」と「卒業しても(その証書が)あまり役に立たない大学」というのがあるが、今や一部を除いてほとんどの大学は後者だと思う。わたしの通っていた大学は、そこに通っていた、というだけで時々便利に使えるという特殊な大学ではあったが、卒業証書に関しての価値は間違いなく後者に属すると言える。(むしろ中退した人の方が偉そうだったりする)

無論「卒業するとそれだけでいろいろ役に立つ大学=入学するだけでも結構役に立つ大学」というという公式は成り立つ。東大中退とか。

でも私の通っていたところは、あくまで「中退が偉そうに出来る割に、卒業したところであまり中退と変わらない」っていう妙なところだ。これは逆に言えば、

「実は別に入学しなくても通ってればいいんじゃない?」

とも言える。

朝、キャンパスに行く。部室に入る。ファミコンする。昼飯を学食で食う。キャンパスで友人とふざけ合う。授業を子守唄替わりに寝る。好きな教授の授業だけはべったり出る。日が暮れたら飲む。飲みまくる。そして家に帰る。週3日はバイト。

これが私の通っていた大学での日々である。一年生の勧誘から入ればどうせ周りは皆知っている顔なんていないし、サークルに入るのに明確な身元確認なんかしない。学生番号なんか適当に書いておけば良い。学食は誰でも食べられるし、小人数のゼミや施設を個人的に使うのはさすがに無理だが、講堂で行っている授業だったら普通に聞ける場合が多い。それが大学というもんだ。

そうして1-2年もなんとなくキャンパスに出入りしていれば友達もできるし、教授と仲良くなる機会も持てるかもしれない。教授と仲良くなれば別にそこの学生でもなんでもなくてもゼミも受けられる。カバン持ちとかで入り込むことは十分可能だ(実際そういう人もいる)。そのへんのつてを辿ってアルバイトらへんから入り込んでしまえば、胡散臭い仕事でよければ十分やっていける。運がよければ結構まともな仕事につけるかもしれない。こうなれば堂々と「○○大に通ってました」と言って良いと思う。通っていたのは嘘じゃないし。在籍していながら全然授業に出ない奴の代わりに出てやってると思えば良い。

この方式の利点はまず学費がタダで済むという点。定期試験も無し。卒論も必要ない。一度に何個かの大学に通うことも可能だ等、良い事ずくめじゃないか、素晴らしい。欠点と言えば学生のフリをするのに多少ずぶとい神経が必要な点と、卒業証書が貰えない事。もちろん履歴書に書くと経歴詐称になる。でも良く考えてほしい。はじめに書いたとおり、どうせ卒業したところであまり役に立たないんである。入社試験に学歴を書いてはいけない企業だってある。何をして何を学んだか?という4年間が必要なら、この方式で何が問題なのか言ってみろこのやろう!だ。

もちろん、ちゃんと就職したい向きにはおすすめしません。大学ってのが就職の為だと考えるなら、黙って「卒業するとそれだけでいろいろ役に立つ大学」に行きやがれ。