やっぱ「モノより思い出」なのかな

地震の前、子どもの誕生日に自転車を買ったのだが、結局未だに乗れない、てか乗る気が無いらしい。

末っ子の話だが。

その前は地球儀が欲しいと言われて、なんてアカデミックなガキなんだ、と親ばかで自転車買える位の値段の地球儀を買い与えてしまったのだが、結局今、埃を被っている。

誕生日とか、クリスマスプレゼントとか、我々は何かにつれ「モノを貰う」事に慣れて大人になってしまったので、どうしても
『何かしら、形になるもの』をあげたい、という感覚が抜けない。

翻って、てめぇの事を思い返してみるに、まぁことごとく、いろんなモノを貰っていながら無駄にしていた。というか、貰ったものがなんなのかさえ覚えていない。すべて忘れたわけではもちろん無い。幾つかはちゃんと人生の役に立っている。例えば自転車だ(笑…うちの息子はだめだったな)あとは…えーーーと、なんだろう?そうだ、バイクの免許、とバイクだ。これは嬉しかった。結局俺の場合は二輪モノ以外覚えていないのだ。

無駄にしてしまった貰い物、例えば、『モデルガン』とかね。欲しくて欲しくてたまらなかった。寝る間も惜しんでモデルガンのカタログを眺めていた。で、手に入れてしまったら、嘘のように飽きた。もっと子供の頃だと、「コマ」とか。コマなんて、いくつでも欲しいけど、けして個別に愛着がわくもんでは無かった。あと、短波放送聞けるラジオ(そこ、笑わない、クーガーね)これはな~ブームだったからなぁ。なんだったんだあれは。

カメラマンになるきっかけになった「カメラ」は誕生日プレゼントとか、そういう類で手に入れたものではない。親父がカメラメーカーに勤めていたから弄れるカメラが身近にあったってのと、祖父が亡くなったとき、祖父が質屋をやっていたため質草のおこぼれでCanonFXというカメラを自分専用に貰ったのがきっかけだ。欲しがって貰った、というのとはちょっとニュアンスが違う。

思うに、おやじの世代では誕生日プレゼントなんてもんは「想定外」だったはずだ。なにしろ昭和ヒトケタ世代だから。そういう人がおとなになって子供を生んだらなんか「せめてモノを」という気概というか、男としてなんかしら形になるものを与えたいという野望が生じると思う。日本は豊かになったのだから、アメリカの「LIFE」の誌面に出てくるような豊かな米国の姿を魅せつけられていたら、普通そうなる。

そしてその息子の私にしても嫁にしても親の世代は同じだから、どうしても「モノ」を与えることで親の役目を果たしたような、そんな気がして満足しているわけだ。

が。
。。

長女がまだ幼児だったころ、誕生日のプレゼントに「キューティーハニー」の持っているあの「ピロピロ」と光るスティックが欲しいと言った。
買ってやったら、どうもなんかしら本人の望むところの機能を満たして無かったらしく、結局あまり遊ばずにゴミになった。

次女が「タイピングソフト」が欲しい、と言ったのでコナンの奴を買い与えたこともあった。
こっちはあまりにそれに夢中になりすぎて、けじめがつかないから時間決め、としたにもかかわらず、言う事効かないからアンインストールしたっきりだ。ゲーム系はどうしてもこうなる。買う前に「一日◯分までだよ」という約束なんて、何の意味も無い。

おそらく、長女も次女も、キューティーハニーのスティックだの、コナンのタイピングソフトだの、ってこっちが言い出さなければすっかり「忘れている」と思う。正直私もこれを書かなければ思い出すことも無かった。

子供の頃の思い出って、なんだろうか。

電子オルガンのコンクールに出たとき、たまったま優秀賞を取った事があって、そのあと親が喜んで鳥屋野潟の南にあったうどん屋に家族皆で夕飯を食いに行った事があった。あれがうまかった。未だに忘れられない。味噌系の煮込みうどん。

家族で三重の祖父の家に行ったとき、何を思ったのか親父がいきなりサイクリングに行こうと言い出して、ドナドナで付いて行ったら、30kmちかく先の伊勢神宮まで出かけるはめになった。なんてこたない、埃だらけの国道をひたすら何時間も走っただけなんだが、未だにあの光景が忘れられない。

末っ子をある日唐突に連れ出したことがある。なんか意味不明だが気分的に「羽田空港にいきたいな(まぁようするに写真を撮りにいきたかっただけなんだ)」と思ったんだが、だったら息子に飛行機を見せたらよろこぶかな?という軽い気持ちで手提げかばんみたいな感覚で連れて言ったのだ。

それを、ことあるごとに息子は

「羽田は楽しかったよね、また行きたい」

と言う。聞くと事細かに「あそこでアイスを食べた」だの、帰りの地下鉄がどうだったとか、バスが無くなってしまって肩車で歩いて帰ったら道を間違えて遠回りしてしまって、ずいぶん家に帰るのが遅くなったんだが、そしたらお母さんから電話が着たとか、妙な部分まで覚えている。
あれからもう何年も経っているというのに。

多分息子はあれを忘れないんだと思う。

だからもう羽田には行かない(笑) 次はまた、気まぐれに別な場所にしたったほうがいいんだろうと思う。