ぴあ廃刊

すみません、まだあったのかと。その方が驚いてしまった。それくらい「ぴあ」の響きは昭和だった。いや昭和は酷いな。すみません、せめて20世紀だな。

あの雑誌の良いところは、「何調べてたんだっけ、俺」ってくらい関係ない情報に釣られてしまう点だったと思う。何かしら興味のある映画やら展覧会やらの場所、時間を調べるつもりで買っていながら、全然違うの見てしまって、当初の目的すら忘れてしまう。

「ぴあ」の存在意義って、「Google」とか「Wiki」と同じだったと思う。

「発信者」と「受信者」の間に仲介者であるメディアがインターネットになってしまうと、発信者は出版社を介すこと無く自ら発信できてしまうけど、受信者側はその上方がどこにあるのかわからない。受信者側は「ぴあ」の代わりにググるようになる。ググッているうち当初の目的と全く関係ないサイトを見てたりする。

以前私はネット構築系の会社にいたが、今寄せてもらっている会社は印刷がメインだ。印刷とネットを比べてしまうと、ほんと、ネットって儲からない(というか市場がこじんまりしている)なと思う。印刷物をやると、紙代、印刷代、発送、そして店舗(本屋)とすごくたくさんの業種が絡んでくる。末端の手元に残る金はネットと対して変わらないんだけど、銀行を通過する金は桁が違う。桁が違えば銀行も優しい。

印刷で「動く金」はネットの比では無い。ちょっとした冊子、キャンペーンリーフだけで、0が二つ違う。印刷関連の人から言わせると、昨今はもう、どうしようも無い位売れなくて困るらしいが、ネットしかやってなかった人間からするとそもそも業態として「コストが高い世界」だと思う。紙の製造、運送時の燃料、印刷機械の電力、店舗、ユーザまでの運送にかかる燃料、店舗の電気代金など、やはりどう考えても「エコ」では無い。遅かれ早かれ、全く無くなりはしないだろうけど規模は縮小していくしかない。

「ぴあ」が無くなったことは、ほんとうの意味で IT 革命とやらの大きなフェーズが終了したんだなって思う。次いで、大手新聞社がどっか一つくらい消えるか統廃合され、同時にテレビ局も同じ道を辿ると思う。新聞は本当にネット配信でいいと思うけど、そうなるとあの配達所の人たちの生活が困るだろうな。夜中に印刷機を動かしている人、そこで待つトラックの運ちゃん、配達のアルバイトさん、こういった業種は今後厳しくなってくるだろう。新聞の勧誘なんて商売も成り立たなくなるだろう。どうしたらいいんだろうか。

「水戸黄門」「渡る世間」が終わるらしい。「笑っていいとも」も怪しい。もし「笑点」と「新婚さんいらっしゃ~い」が終わったらいよいよ次のフェーズ終了だな。まだテレビは夢があるけど、印刷系は困ったな。