2012-05-04
好きなものの不思議
「嵐のニノさんが『カレーならなんでも好き』と言うのと、同じくらい私はうどんが好きだ」
と嵐ファンクラブ会員の嫁はコンビニの冷やしうどん弁当を頬張りながら言った。
この”カレーが好き”というのは「旨いカレー」とか「高級カレー」とかそういう括(くく)りは必要なくて、高級洋食屋のカレーだろうが、ハウスバーモントカレーだろうが、免許試験場の給食のカレーだろうが、なんだろうが、「カレーという食べ物自体が好き」という意味合いでの好きってことらしい。
俺は寿司が大好きだが、どんな寿司でも好きってわけではない。悪いが機械が握った寿司は嫌いである。めちゃくちゃ安くて他に選択肢が無ければ食うけど、多分「寿司ならなんでも好き」というのとは決定的に違う何かがあると思う。
どうも、「◯◯ならなんでも好き」って感覚が分かりかねていたんだが、そういえば当てはまるものが一つだけあった。
日本酒だ。美味い日本酒の方が好きなのは当然だが、じゃぁまずかったら嫌いか?と問われれば、好きだ(笑)日本酒系なら料理酒でも飲める。実際昨今の料理酒は「あらヤダ、なにこれおいしい」ってもんが多い。下手な100円パック酒よりよっぽど美味い。いや、結局美味い不味いでは無いんである。
話は食い物以外に進む。
ウチの娘がやたらとカバン(というか入れ物?)を買う。買うだけでなくせこせこ自分で作ったりしている。これは俺に似たのかもしれない。私もカバンとかケースの類が好きで、なんも用がなくてもかばん屋を覗いてしまう。ちょっと余り金があると、なにかしら買わずに済ますことが出来ない。こういう「収集癖とは微妙に異なる◯◯好き」というのは誰にでもあるような気がする。別に私はカバンの収集自体が趣味なわけでは無いが、それでも使いもしないカバンが押入れに詰まっている。コレクション癖(並べ飾り立てるような感じ)と違ってもやっていることは同じなのかもしれない。
新潟県人なら分かってもらえるかもしれないけど、「傘好き」っていると思う。冬の間は傘は毎日持ち歩く必需品であるから当たり前なのだが、東京に出てきて一番驚いたのは「傘は天下の周りモノ」感覚度数の高さである。ほんと信じられないくらい他人の傘だろうが自分の傘だろうが、「個人の所有物」ちぅ感覚が乏しい。急な雨の日、コンビニの入り口の傘立てに傘を置いたら、まず入れ替わっている。その入れ替わった傘を入れ替わったことに気づかずさして歩く。また別のところで別の傘に替り、いつの間にか元の傘がどんなんだったかも忘れてしまう。自分はかなり傘を選ぶのが好きで、拘っていたのだが、最近はあまりに入れ替わるので(?)すっかりどうでも良くなってしまった。
私の写真の先生は「靴」が好きだった。何かにつけ弟子に靴をくれる。サイズが会わないからあげると、とんでもない高級な靴を貰った人もいるんだが、そもそもなんでサイズが合わない靴を買うんだろう?下駄箱には一度も履いていない靴が整然と並んでいたりする。それを磨くのが楽しいと言われたんだが、さっぱりお気持ちが解らなくて困った。
とある武道の先生はペットボトルの頭に付いているフィギアを一生懸命集め、並べ、ホコリがつかないように透明なケースに入れて飾っていた。どう?って見せてもらった事もあるのだが、「(どう?って言われても…)ご随意に」としか言いようが無い。
会社の同僚に、たいして飲めもしないのに高級ウィスキーをため込んでいる奴もいた。飲まないんだったら意味ないだろうと思う。てか高級だろうが料理酒だろうが酒があったらその日のうちに飲み干してしまう私には、一生分かり合えない大きな溝があった。
嫁に、そういう感じの「好きなもの」はある?と聞いたら無いと言う。
「いや、それは無いだろう。むしろそういうものが一切無い方が不気味だ」
「……」
「ぜって何かあるはずだ。用もないのにその売場に行ってしまような何かが(なぜそこまで熱く・・・)」
「あ、そういえば」
「タレ(調味料など)」が好きだそうだ。 新しい「タレ」が出ると、試さずにいられないとの由。なんだそりゃ。どうりで冷蔵庫の扉の裏っかわにやたらとタレやらめんつゆやらドレッシングやらがごちゃごちゃ入っとったわけだ。
そうだったのか……夫婦生活20ウン年、ちっとも気づかなかったよハニー。てかうどんとタレ。結局食いもんじゃねーか。