フラッシュとかライトボックスに見る栄枯盛衰

フラッシュとかライトボックスってやっぱもうオワコンなんだろうか。多分そうなんだろうな。

前者はあからさまにアポーのせいだ。iPhoneのブラウザがフラッシュ表示不採用にしたっていうね、ただそれだけ。それだけであれほど栄華の限りを尽くした技術が、「はい、さよなら。お疲れちゃん」だもの。怖いわ。まじで。

フラッシュは私は苦手なんで、殆ど知らないってか単純な動画以外は一切触らなかったからまだ良いけど。一つの規格が一企業のシェアの大きな革新的な商品のお陰でほぼオワコンを迎えつつあるわけだ。

例えば動画とか、スクリプトでもなんでもいいけど、いわゆる「動きのストーリー」を設計するのに長けていた人や、プログラミングの設計のほうに長けていた人は、確かにせっかく覚えたフラッシュの作り方が無駄になったとしても別にそれはそれで、大きく困ることはないと思う。困るのはいつの時代も職人だよね。

例えば、カメラが銀塩からデジタルになったけど、カメラマン自体は収入が減ったりクライアントが変化したりそれなりに大変ではあったが、カメラをデジタル一眼にしさえすれば仕事自体の根本である『写すこと』は、一応可能だった。レンズは流用が効いたし、覚えることが増えて大変だったけど、対応しようと思えば出来た。でも、DPEはフォトショとプリンターが変わりにやってくれることになったから、暗室でネガからプリントすることを専門としていた職人さんたちは仕事そのものがかなり少なくなってしまった。

フラッシュは、銀塩カメラ程の歴史は無いから、銀塩カメラが失った市場(とその混乱)ほどのもんは無いと思う。それでも数年前までフラッシュコンテンツのやっちゃ場要員として学んできた人の技術は今後おそらく高確率で無駄になる。

それに比べれば大した話じゃ無いけどライトボックス(javascriptのあれ。サムネをクリックすると回りが暗くなって写真がびよ~~~んて大きくなるあれ)が、スマートフォンで表示させるとあまりに酷いってんで、最近敬遠されてきている。もうちょっとアップデートのしようはあるような気もするけど、別に他のもんでもいいやという意見が多い。カルーセルでもいいし、スライドショーでもいい。まだどうなるかわからんけど、こういった「一時の徒花」みたいに消えていく技術って、いくらでもあるんだが、なんか寂しい。

IT に携わった仕事をしていると、ほんとこういう技術の流行り廃りが早すぎて麻痺してしまう。お笑い芸人のペースに近いものね。

ここで、一応言っとく。
iPhoneが革新的なことと、フラッシュを採用しなかったことに技術革新的な相関関係が無い点がなんかむかつくんだけどね。映画の弁士がトーキーで消えたこと、銀塩カメラがデジタルに駆逐されたことと、iPhoneがフラッシュを採用しなかったから消えかけていることとは根本的に違うのだけれどね。まぁいいや。特にフラッシュを擁護するメリットがねーわ。俺には。

たぶんね、もうちょっとすると
本当に
電気自動車メインになるような気がするわけよ。

多分アップルとかバージンとか、ヘタしたら ディー・エヌ・エーとかグリーが自動車作る世の中になるかもしれない。その頃、トヨタはともかく、コニカミノルタじゃねーけど、スバルすずきとか出そうだ。復興特需で元気ないすゞがマツダを喰うとか。

「この度、いすゞマツダはトマト自動車に名前を変えました。トマト自動車は安心と信頼のグリーグループです❤」とか。

「運転中に生命反応が無くなっても大丈夫。そう、i ホンダならね ♪」とか。

せいぜい、内燃機関だけのお勉強で工業高校卒とか、先考えると結構不安なんでな。気をつけなはれや。