人生にとって余計なもの

いよいよ XP のサポートが切れると言うので、来春の消費税アップ前らへんには PC の特需があるんだろうなぁと思うが、それにしても XP 時代 は長かった。自分は 2002 年の春辺りから使い始めてるはずだから最早 11 年。公私共々お世話になりました。

思えば “窓 95” が出てからこっち約18年、随分と生活が変わったな。それにしても “95” って名前は、今思うに、なまら酷い。なにしろ名前だけで「俺が30歳の時出た OS」ってのが直ぐに計算でけてしまうのね。これが “Windows 93” らへんだったら微妙に計算しずらいからスルーできたのに残念だ。てか、そうなんだ、私の人生の中で、既に中年に差し掛かってから “窓 95” は現れたのであった。そして、それ以前と以後では本当に毎日の生活、仕事のしようがガラッと変わってしまった。

いやPC以前のマックこそ世の中を変えたんだという人もいるけど、私はそうは思えない。マックはそれを使う人の生活を豊かに楽しく変えてしまうけど、世の中の仕組みを(良い方向にも悪い方向にも)変えたのは窓の方だと思う。 コンピュータという大きな括りを使えないと困ることは多くなったし、エクセルくらい使えないと困る場が増えたがそれ以外の人にとってマックのあの価格と機能はやはり余計なものでしかない。

iPhone もやはり生活を変えた。

iPhone を手にするまでの私は「あれ?そう言えば最近携帯電話見てないな」と思ったら、越谷警察署(埼玉県)から「遺失物として届いているから取りに来てね」って電話が来て初めて携帯をどっかに置き忘れたことに気づくような人間だった。なんで越谷くんだりまで交通費かけて行かにゃならんのだ?と帰りに餃子の大将でやけ食いをしたのはいい思い出だ。それほど携帯電話が嫌いな俺がだ、今や iPhone を忘れたらいそいそと取りに帰るようになったのだから大したものだ。

でも仕事まで変えたか?と言われるとそこまでとはとても思えない。むしろ仕事中に弄ってしまってかえって仕事に支障が出ている。

携帯電話という大きな括りは今や無くては困る人の方が大多数だが、別に iPhone 使わなくても飯が食えないってもんでは無い。てか自分が iPhone を忘れたらいそいそと取りに帰るその最大の理由は「暇つぶしの為のゲームや音楽を聴く機能やカメラを今日1日失いたく無い」ってだけの話であって、仕事とはまるで関係ない。付加価値!と言えばかっこいいけど、いわば「余計なもの」だ。

さて、次はどうしようか。やっぱ “7” なのかな。8も軽くて良いらしいけど、どうしてあそこまで「余計な」インターフェィスにしてしまったのだろうか。もうちょっと”窓”の培ってきた歴史というものに自信を持って欲しかった。”窓”もなんとなく取り残されるのが怖かったんだろうか。いずれにせよ今後もそっちの方向へ行くなら行くで”窓”の歴史はこれで一区切り付いちゃったんだなという印象が強い。考えてみれば IT 革命と言われ大分世の中も変わったけど、そろそろ安定期なのか。そりゃそうか。そこまで革新的な進化が続くわけもないか。ようするに OS も付加価値で選ぶ時代になったっちゅうだけのことか。

とすれば、だ。困ったものだ。
過去の例を鑑みるに、
窓の提供する付加価値でお得な気分になった試しがないのだが。てかさ、付加価値の提供、に限ればアップルに勝てるはずがないんだよな。アップルはその「余計なもの」だけでここまで来たんだから完敗必須。

いっそマックにしちゃおうか。時代はやはりアップルか、むしろグーグルだろう。それとも今更ながらリナックスをメインにしちゃうか。そっか、リナックスってのもいいか。タダだしな。OSで稼ぐ時代は終えたのだ。窓を閉める夜が来た気がする。

むしろ窓社はXPのサポートを有償で良いから続けるべきだ。きっとあのわけわかんない “窓8” 売るより儲かると思う。