うまー

酢と小魚と梅干と昆布あまり酢の物というものが好きでは無い(あれば食べる)のだが、酢そのものは好きだ。

«これは小魚に味昆布をのせてその上から酢をかけただけ。三杯酢では無い。昆布の塩と甘さで十分うまー。で梅干(無くても良い)。これでご飯ウェルカム。残暑乗り切る朝飯にどうでしょうか?ちなみに私は大根おろしに酢かけたものだけでおかずとしてご飯食える。これには全く家族が同意してくれない。

我が家で寿司酢を作るのは私の役目で、いつも「酢」メインで(一合辺り大さじ1.5強:まぁ標準~ちょい少なめ)、砂糖・塩は少なめ(大体標準の半分~2/3)で調合している(但しこれはあくまで手巻き寿司用。握りにはもちっと濃い方がいいし、おいなりさんには砂糖多めで甘い方が合う)。あと、酢は一点豪華主義で高い方が高いなりに美味いっすよ。

地デジ

地デジがどうだか知らんが、相変わらずうちはアナクロアナログテレビで悪かったな!だ。ただアンテナは既に設置してあるので(共同住宅の為)、部屋まで電波は来ている。要はあとはテレビを買えば直ぐ見られる状況だ。が、個人的にどうも買いたくないんだな、デジタルテレビっての。

地デジ移行が決まってから随分経ったが、どうひっくり返っても「必要性が感じられない」んだよ。いらないものに金は出したくない。だいたいテレビってそんなに必要か?最近どんどんテレビってつまらなくなってるような気がするんだけど。

特に気になるのが、ようつべとかニコニコあたりの動画を持ってきて、タレント達がそれ見てコメント言ったりランキング付けたりする番組があるだろう。最近増えたな。なんなんだあれは。ようつべに勝手に録画流されるならテレビだって勝手に使ったって構わないだろう?的な?そういう理屈なのかしら。

別にここで著作権云々を言うつもりは無い。言いたいのはこんな番組、つまり既にPC小窓画質のものにタレントの顔やうそ臭いおばちゃんの笑い声が被った放送を、わざわざデジタルテレビで見る意味がわからない。

たまにやっている映画はカットされまくりだし、CMばかり音がデカイからいちいちボリューム下げるのがうざい。CMのたびリモコンを探すのだが、そもそも欲しい時に見当たらないのがリモコンというものだ。だから映画はツタヤでいい。安いし。

今年高校野球はPCでABC放送の生中継をウェブで見た。これは良かった。生といってもちょこっと遅れるのだが、そのかわり過去にはいくらでも戻って確認できる。面白かった。てかこれがあればデジタルテレビっていらないんじゃない?何?画質が悪いって?
仕事中にそんげ画質で見られっわけねーろがや!
こうね、フォトショの横にちっさくブラウザの画面だけ覗かしてね、チラ見できれば十分だ。

基本家のテレビの前でじっくり高画質で観る、という「時空」が私にはあまり無い。見たいテレビをやっている時間帯は大抵家のテレビの前に居ないのよ。« ここ、結構大事な処。本気で地デジを普及させたかったら、国民の労働者全てを19時前に確実に帰宅できるよう法律で決めたまい。ワールドカップとオリンピックと高校野球の期間中は休日にしなさい。

あんげバカでかい身動き取れない不動産テレビがなんでそんげに嬉しいのか?ユビキタス(いつでもどこでも)方向への進化の方が絶対未来がある(車運転しながらナビでテレビ見るのは危ないからヤメテ欲しいが)。iPadだってあれで地デジが見られるんだったら二台くらい買ってやっても良い。……やっぱ一台にしておこう。

一応うちのブラウン管(死語)はアナログながら、主にDVD再生かゲーム用にも重宝している。朝方の忙しい時間帯には、羽鳥さんやみのもんたの声が聞こえる時計にも使えてとても便利だ。でももうすぐ本当にアナログ電波は届かなくなってしまう。ということで、もう我が家のテレビは当分コレ▼決定。
 

所在不明老人

どこまで増えるか話題の所在不明老人
死んだ後ほったらかしだとして、年金だけが目当てなのだろうか。もらえる額もあろうが支払う額もあるだろう?あ、払ってないのかこっちは。

相続税対策ってのもあるんだろうな。

そういえばこういう人にも選挙の時には投票はがきとか来るんでしょう?なんか使い道あるような気がする。こんげ状態でネット投票なんて施行した日にゃもう、どっしょーもねかったな。政府はかなりの規模の票田と闇市場を潰してしまった。惜しいことをしたな。

私も死んだらまだ生きてることにしとけ、と一瞬思ったんだが、よくよく考えてみたら年金はさしたる額では無いし、残す遺産も無いから大してお徳ではなさそうだ。

むしろ生きてるけど死んだことにしておいてもらったほうが良いかもしれない。保険金も入るし。

誰がどう見たって「死んでるだろこれ」というご老人を「生きている」と言い張る宗教があるならば、

何時訪ねてもこまめに顔を出し、飯も食うし糞もする、合えばいつも挨拶をし、時々夜中に奇声を発する、ご近所でも「お元気ねぇ」と評判のご老人を
「でも、死んでるんだぜ。生きてるみたいだろ?」
という宗教があっても良いじゃないか。

なんなら俺が教祖になってやってもよい。

うざい人

今日はついてない。私は実はこういう人が嫌いなんだが、同時にやらかす人と一緒になってしまった。

うざい人

  1. 普段はそうでもないのに電話になるとやたら声がでかくなる奴。

別にそんげ大声出さんでも。聞き取りにくいのだろうか。でもそれはあくまで先方の音声が小さいのであって、あなたが「あ~?」とか大声出したって意味が無いんだよ。電話の仕組み分かってるのかな?「こ・こ・は・田んぼじゃねぇ」っつんだ。

……

うざい人

  1. キーボードの「エンターキー」を叩く音がやたらでかい奴。

そんなに変換が確定して嬉しいのか。もうアホかと。ノートパソコンで良くそこまででかい音よく出せるな。これにしろこれに

やだなぁ。もう家に帰りたい。

そうだこういうのも嫌だ。

うざい人

  1. 名乗らず要件から入る電話してくる奴

こういうのがあった。
「はい、○○です」
「今そちらに向かっているんですがね、ここどっちに曲がるんでしたっけ?
知らねーよ!ここって何処だよ。てか誰?

ケセランパサラン

ケセランパサラン部屋で本を読んでいたら窓からフワフワと入り込んできた。捕まえるのに苦労した。

これは5cmくらいある。毛は少なくて硬い。植物性。どうやら薊(アザミ)の種だそうですな。(種がもう落っこっちゃった後らしい)

昔家で取っておいたのとちょっと違う。あれはもっと小さくて毛が柔らかくてもっとふさふさと毛が多かった。多分羽毛(笑)。シッカロール漬けにしていたんだが、その後どうしたんだっけか。

うなぎの捌く向き

松阪でうなぎを食べた時の写真を見ていてふと気づいたんだけど、これって……

背開きだよねぇ。(頭残しは関西風だが)

わたしゃ「浜松から西は鰻は腹開き」と聞いていたんだがな。良く、「関東は武士の社会だから切腹を思わせる腹開きを嫌った」って言うじゃない?。逆に関西は「腹を割って話す」商人気質から腹開き」とか。なんだかまとまりすぎてて嘘っぽいとは思っていたんだ(ひねくれ者)。だってさ、干物とかの魚の開きは普通腹開きが多いのに、鰻だけどうこう言うのは妙でしょう?

どうも、「腹開き」するのは西日本というより京都大阪が中心らしい。九州は背開きが一般的だそうだ。なんだそれ。フォッサマグナから西は「甘口醤油に腹開き」というのは嘘なのかやっぱ。

なんかいろいろフォッサマグナらへんから文化が異なるという固定観念があるけれど、方言にしろ何にしろ東西でくっきりしてるのは電気の周波数くらいなもんで、実際は関西を中心に同心円状に変化している文化の方が多いと思う。北陸と九州の方言て遠いようで近いし。

聞けば、松阪(というより)伊勢では背開きの店が多いらしい。しかも「蒸す」ってさ。でも串刺さない。(全部が全部というわけではありません)。九州は背開き蒸さない串刺さないのが多いそうだ。

こういうヌメヌメ魚(穴子とかも)の捌き方としては背開きの方がとっつきやすいそうですから、初心者は背開きからトライする方が良いらしいぞ。腹開きは少し難しいと。ただ背開きも内蔵を傷つけて「苦く」なっちゃう場合があるから気をつけろと。

うなぎの蒲焼きという文化が関西から関東に移ってきた時、(当時)上方の上品で洗練された料理人は手際よく腹開きしていたのがだんだんメンド臭くなったんでしょうか。それもあるかもしれないけど、関東は「蒸す」でしょう?なんでムスカ?ちゅうと蒲焼のファーストフード化を目指した結果らしいよ。江戸っ子は短気だから、注文して四半時も待てねぇってか。蒸しといて、注文が来らタレ着けて直ぐ出せるわけで。

伊勢の鰻も、お伊勢参りで賑わった時期、たくさん来るお客をさばくために蒸すようになったという感じか(くどいようだが店によって違う)。

焼いた時、腹開きだと「くるくる」って反ってしまうし、焼き上がりがなんとなく「歪んだ感じ」になりがちだそうな。(勿論高級なお店は職人技でキレイに焼くのでしょうが)。でも関西の人は鰻は出てくると「ご飯にまぶしてぐっちゃぐちゃ」にして食べるでしょう?名古屋も「ひつまぶし」ってハナッからゴチャマゼにするし。だからもともとあまり焼き上がりの姿にこだわらないのかも。

関東風は蒸す。蒸すと柔らかくなるから、腹開き(腹に刺す)に刺した「串」が抜けてしまったり、身が崩れやすいが、背開きだと背中の硬い肉に刺すから抜けにくい、くずれにくい。背開きだと焼いた時の「くるくる」が少ない。歪みが少なく見た目綺麗に焼きやすい。ご飯に混ぜないで食べる関東にはこっちが向いている。

てことで「武士の切腹云々」はガセビアとまでは言わないまでも、「後付」だと、勝手に認定したい。

実は私、高校生の時、うなぎも出す寿司屋でバイト中、この竹の「串打ち」をやったことあります。難しいとは聞いていたがここまで、ってくらい難しかった。3年とまでは言わないがそこそこ打てるまで1-2年はかかると思う。

関西は金串らしいですね。知らなかったよ。金串は刺しやすいが抜けやすいから蒸すには向かないだけでなく、「長い」から、「蒸し器」に入れると邪魔臭い。(短い金串使えって?そんなもん熱くて持てなくなっちゃう、鰻をひっくり返っせないだろう?)で、関東では刺しにくいけど抜けにくくコンパクトに場所を取らない竹串になったとの由。

ちなみにどっちが美味いか?ってのは「個体差」「料理の腕」だそうです。あたりまえだ。

てなこと書いていたらまた鰻食いたくなってきたぞ。

質草のチャリで伊勢参り

小学校の高学年の頃、松阪から伊勢神宮まで親父と一緒にチャリンコで出かけた、という曖昧な記憶がある。

尻をずらしてつま先立ち、これでやっと足が着く自転車に乗って行った(逆にこの高さが案外漕ぐのに最適だったのか)。ただっ広い田んぼの中を伸びる埃っぽい道、時々出てくる「伊勢まで20km」という青い標識の数字が、走るにつれ少なくなるのが楽しかった事を覚えている。自転車は大きくて重かったが、一度走り出せばあとは漕がなくても惰性で進んでいく感じがして少しも疲れなかった。

その時乗ったのはいわゆる「実用車」というやつなんだが、なんで親父と私の乗ったのと二台も実用車があったのか(婆さんは自転車に乗らなかった)が不明。考えて見ればおかしな話で、もしかしたらこれはなんか夢でも見たのを現実だと勘違いしていたんではなかろうか、と最近は思い始めていた。そういうのって結構あるんで(笑)

松阪~伊勢間は片道25km位。小学生で足の着かない自転車で本当に行ったのだろうか結構怪しい。高学年と言ったって、6年生では無いことは間違いない(だったら絶対自分で写真を撮っている)。良くて5年生、もしかしたら4年生くらいの話だ。

で、今回松阪に行った際親父に聞いてみた。

親父もさすがに覚えていないだろう、と思ったら、あっさりはっきり覚えていた。確かに松阪から伊勢神宮まで行って、何するわけでもなくまた帰ってきたらしい。いわゆるポタリングというやつだ。時期は「春休み」だったそうだ。となると4-5年生の間の春休みなのだろうか。で、その時なんで自転車が二台もあったのか?と聞いたのは母親だった。私もそれを聞きたかったんだが、親父が言うには、あれは「質流れ品」だと。

そうでした。実は私の爺さん、会社退職後「質屋」をやってました。すっかり忘れていた。それもあるが、自転車を質草にする、という感覚を失って久しい。でも35年くらい前までは実用車といえば一家の大事な財産だったのだよな。

多分、伊勢参りが目的では無く、なんとなく行けるところまで行ってみようか?的なノリだったのだろうと思われる。出たのは昼過ぎだったはず。ところが走ってみたら▲ご覧の通り「高低差」が殆ど無い道のりであるし、埃っぽかった記憶からしてあまり風も強くなかったのだろう、引き返すタイミングを測りかねていたら神宮に着いちゃった、という感じだったのだろう。

松阪の家に戻ったのは日が暮れて間もない時間だったことを思い出した。

よくよく考えてみたら、新潟~東港くらいの距離感だ。中学の頃ちゃりであの辺まで釣りに行く奴いたな。