最終回

渡る世間 が最終回らしい。

生まれてこの方、5分以上この番組を見たことが無かったので、ちょっと見てみた。

 

いや、びっくりした。どうしてもこの世界のルールが分からない。この現実味の無さ、ありえない普段の会話……。どうしてこれがロングセラーだんだべ・わからん。ほんまわからん。てかこれが終わった後の江成くんはどうこの技術を活かすのだろうか。心配になってきた。

ま、結局15分以上見ることが出来なかったのだけども。

 

てかこんだけ長く続いた番組なんだから、最終回には「どんな『どんでん返し』が待ち受けているのだろうか」と、娘に振ったら

「江成は角野の息子じゃなかったとかなんじゃね?」

と曰もうたんだが、そもそも角野(って出てるの?)が江成の乳(いや、父)という設定なの?俺知らないのでちとも面白みが分からない。しょうがないよ、見てないんだから。

いや、申し訳ないが、「江成は実は宇宙人であって、最終回に嫁を連れて火星に帰る」くらいやっても文句は出ないんじゃないか?(いや、出るか)むしろ、江成は実は女だったとか、つまらんか。つまらんな。

 

だめか、もうこの歴史には歯が立たないな。どーも。  慣れないことはしないほうが良いのかもしれない。

やっぱさ、劇中の皆さん背筋伸びすぎ。セットの部屋きれいすぎ。会話が正直生理的にきもい(ごめん)。ほんと申し訳ないけど、この演出の「良さ」が心底理解できない。ここまで、とは思わなかった。目からウロコだ。これで良かったんだ、TVって。

正直ここまでイケメンなドラマだったとは知らなかった。ある意味終わってしまうのは惜しいとさえ思った。もっと見ておいて、毎週突っ込んどきゃ良かった。しまった。今、プチ後悔している。

 

 

次は、水戸黄門かしら。

宇宙からツィートしたら

今日で雲爺が最終回だそうだ。残念だ。また一つ見たいテレビが無くなった。で、ついなつかしくて・・・

なにこの疾走感、今持って素晴らしい。やっぱこれ、今なら

「地球は青かった。なう」
「 知ってる。RT @チャンピオン号 地球は青かった」
「 知ってた。RT @チャンピオン号 地球は青かった」
「 知ってた。RT @チャンピオン号 地球は青かった」

「あ、前方から隕石が飛んできたぞ、なう」 
「どゆこと?!? RT @チャンピオン号 あ、前方から隕石が飛んできたぞ、なう」
「はじまったか(・∀・)!? RT @チャンピオン号 あ、前方から隕石が飛んできたぞ、なう」
「まじですCAR!? RT @チャンピオン号 あ、前方から隕石が飛んできたぞ、なう」

「危ない!ぶつかる!なう」
「公式RT @チャンピオン号 危ない!ぶつかる!なう」
「公式RT @チャンピオン号 危ない!ぶつかる!なう」
「公式RT @チャンピオン号 危ない!ぶつかる!なう」
「公式RT @チャンピオン号 危ない!ぶつかる!なう」
「公式RT @チャンピオン号 危ない!ぶつかる!なう」

とかで、右のほうに

・危ない!ぶつかる

あたりがトレンドになったりするんだろうか。

 

・・・まったくもって不謹慎ですみません。

あいなめのバラッド

いいなこれ。 良い子や仕事中音量注意。

さざえ( ̄ー ̄)bグッ!。

一体どうしたんだこのヌコは!?

ちょ!笑!

TwitterとFacebookのシンクロ

をやってみたんだが、なんか、

うざい。

考えてみりゃそらあたりまえだ。ここんとこ結構ツイッターとFacebook をいじくったんだがな。つぶやきはどっちかといえば不特定多数に対して発する溜息みたいなもんで、聞いてない人にむりやり聞かすもんではない。それをFacebookの一定の枠の中のコミュの中でだらだら聞かされたらウザイわ。楽したらいけんな。

FaceBook、やっぱあれは「リア充」なセレブな方々のお遊びツールな気がする。あれにツィッターのくだらないつぶやきを乱入させてみたらもうね、馬鹿みたいだよ。やってみて分かった。なにより恥ずかしいから。

これは全く別個のもんだ。もう全く相容れない。なにより発信側が萎える

俺はFacebookには向いてないな、というのは良~~く分かったわ。まぁMiXiのパスを忘れるような人間だし、予想はついていたんだが。早速TwitterとFacebookの連携は切断。いらんわこんな機能。

そうやて考えると、こういったコミュニケーションツールというのは、まだまだ新しい「隙間」があるような気がする。グーグルさんともあろうもんもがやってる「Googleプラス」って、ちょっと浅はかだな。なんか全部良いとこ取りで一時期のマイクロソフトやヤフーみたいなこと始めたらいかんだろう。もうちょと考えたほうが良いと思うぞ。

 

でてきと~に始めた twitter は案外ハマってしまった。さすがに「うんこなう」はしてない。今のところね。

 

 

アナログ停波延期求めてデモ

京都にて

京都総評や北上地区労の労組員からも、「お年寄りや障害者などの中にはいまだに停波を知らない人もいる。テレビを買えない人は自己責任という姿勢は許されない」「災害時にテレビは必要。国の責任で支援策をすべき」などの訴え

うーん、私もアナログは無くすべきは無いと思っているので(というかむしろあの胡散臭い B-Cas をなんとかせい派)非常に気持ちは分かるけど、これはなんか論点がズレているような気もするな。まぁデモるとしたらこっちの方向に持っていくしかないのも分かるけど。

今この時点で停波を知らない人ってのは「普段テレビを見ていない」か、「テレビで言っていることが全く頭に入っていけてない人」なわけで、そういう人の家に災害時にテレビがあったとして、何の役にどう立つのか教えて欲しい。こないだの震災の時は揺れで買ったばかりのデジタルテレビぶっ壊れちゃった人も多かった。デジタルだろうがアナクロだろうが壊れたら見られないだろうに。あんましそういう点(災害時にどうとか)を力説するのはくだらない。災害時一番役に立ったのはテレビでも携帯でもでなくツィッターだったんだから。

デモで大声張り上げるんだったら「アナログ放送終わりますよ!、大丈夫ですか!」て言って回ってあげたらよいのに。

 

ぴあ廃刊

すみません、まだあったのかと。その方が驚いてしまった。それくらい「ぴあ」の響きは昭和だった。いや昭和は酷いな。すみません、せめて20世紀だな。

あの雑誌の良いところは、「何調べてたんだっけ、俺」ってくらい関係ない情報に釣られてしまう点だったと思う。何かしら興味のある映画やら展覧会やらの場所、時間を調べるつもりで買っていながら、全然違うの見てしまって、当初の目的すら忘れてしまう。

「ぴあ」の存在意義って、「Google」とか「Wiki」と同じだったと思う。

「発信者」と「受信者」の間に仲介者であるメディアがインターネットになってしまうと、発信者は出版社を介すこと無く自ら発信できてしまうけど、受信者側はその上方がどこにあるのかわからない。受信者側は「ぴあ」の代わりにググるようになる。ググッているうち当初の目的と全く関係ないサイトを見てたりする。

以前私はネット構築系の会社にいたが、今寄せてもらっている会社は印刷がメインだ。印刷とネットを比べてしまうと、ほんと、ネットって儲からない(というか市場がこじんまりしている)なと思う。印刷物をやると、紙代、印刷代、発送、そして店舗(本屋)とすごくたくさんの業種が絡んでくる。末端の手元に残る金はネットと対して変わらないんだけど、銀行を通過する金は桁が違う。桁が違えば銀行も優しい。

印刷で「動く金」はネットの比では無い。ちょっとした冊子、キャンペーンリーフだけで、0が二つ違う。印刷関連の人から言わせると、昨今はもう、どうしようも無い位売れなくて困るらしいが、ネットしかやってなかった人間からするとそもそも業態として「コストが高い世界」だと思う。紙の製造、運送時の燃料、印刷機械の電力、店舗、ユーザまでの運送にかかる燃料、店舗の電気代金など、やはりどう考えても「エコ」では無い。遅かれ早かれ、全く無くなりはしないだろうけど規模は縮小していくしかない。

「ぴあ」が無くなったことは、ほんとうの意味で IT 革命とやらの大きなフェーズが終了したんだなって思う。次いで、大手新聞社がどっか一つくらい消えるか統廃合され、同時にテレビ局も同じ道を辿ると思う。新聞は本当にネット配信でいいと思うけど、そうなるとあの配達所の人たちの生活が困るだろうな。夜中に印刷機を動かしている人、そこで待つトラックの運ちゃん、配達のアルバイトさん、こういった業種は今後厳しくなってくるだろう。新聞の勧誘なんて商売も成り立たなくなるだろう。どうしたらいいんだろうか。

「水戸黄門」「渡る世間」が終わるらしい。「笑っていいとも」も怪しい。もし「笑点」と「新婚さんいらっしゃ~い」が終わったらいよいよ次のフェーズ終了だな。まだテレビは夢があるけど、印刷系は困ったな。