ちょいちょいちょいちょい

PM2.5が~とか黄砂が~とか言ってる割には、一方で
「PM2.5というのは煙草の煙も同じ」
とか言う人もいて、中国から来る2.5よりも喫煙所の煙の方がよっぽど危険だ、とか言われてたりさ、実際その

2.5 の中身はなんなん?

て部分については何も触れられて無くて(2.5てのは単なる大きさでしかないんでしょ?)一方で福一の冷却水(勿論汚染水)が漏れてて遅かれ早かれ海にまた流れだすだろうって状況で、一方で福島の魚が風評被害で売れないって言われたりでも風評ってなんなん?それぜんぜん風評じゃなくね?という面もあるのだがあんましにも真剣みが無いし、

んなことよか

上朝がミサイルを発射するって公言してるのに、この緊張感の無さ加減はなんなんだい?これがもし、仮にだよ、中国かロシアが同じ事言ったらきっと今日は学校会社すべて休みだろう?舐められすぎだな正恩。でもアキバの加藤君とかこないだの東陽町のおっさんみたく自暴自棄な人がそのまま国家になったようなもんだぞ。ありがたいことにここまで先方は「やるよ~:)」言ってくれているのだからして、こちらとしてもさっさと先制攻撃して廃土にしたほうがいいのではないのか?

なんだかなー。

人生初眼鏡

何度かここに免許更新の時の視力検査ネタを書いたかと思うんだけど、基本

C

こういうのはカンがよければクリアできるのでこれまで眼鏡無しで更新してきた。こないだも健康診断で殆ど見えなかったんだけど片っ端からで当てまくって近年まれに見る好成績0.8を記録したんだが、実の所見えてない。てか年々の精度が上がっていて記録は毎年0.1ずつ上がっているのだ。すごいだろ?

ただ、実際の生活で結構不便だなぁと思うようになってきたのも事実。先日娘の眼鏡のフレーム交換だのでメガネ屋さんに行ったのだけど、最近眼鏡って安いんだね。知らなかった。私の場合、免許ギリギリアウトあたりだからさほど厚いレンズは要らない。安く済まそうとすれば5000円あれば出来ちゃうのね。

小学生の4年まで、左右2.0だった。中学になっても1.5、時々1.2だったのが、カメラマンになってから一気に悪くなった。暗室のせいかなと思ってたんだけど、どうも「暗い所で本を読むのが近眼の原因とは言えない」というのが昨今の理解だそうで、確かに悪くなったのは「利き目」の方ばかりだった。多分カメラのファインダーを覗く方を酷使し続けたのが原因かと思う。あと斜視ね。カメラマンの持病とも言える。

一時は左目(私の利き目)が0.4、右目は1.2という極端なガチャ目になっていた。実際利き目が悪くてももう一方が補助してくれるから実生活ではあまり不便はない。カメラも0.4くらいなら視度調整レンズだけでなんとかなってしまうのだ。免許も片目の検査では「ん~?」って顔をしかめる検査員も、最後に両目でやるでしょう?あれで文句なしだった。

 

……

 

本格的にやばくなってきたんはやはりウェブデザインを仕事にしてからだと思う。特に、当時はブラウン管だったでしょう?あれは目には非情に悪かったんじゃないかなぁ。一気に両目とも悪くなった。お陰でガチャ目と斜視は治ったんだんだけどね。両目で0.6>0.5>0.4と年々悪くなってしまった。

その後液晶になってから近眼の進行はかなり緩くなったと思う。かといって良くなっては居ない。さっきも言ったように「勘」の精度アップによって検査結果自体は段々よろしくなってきてはいるが、実のところ見えてないのも先に言ったとおり、で今に至るわけ。

で、春だし?ちょいと思い立ってJINSで眼鏡を作ってみたわけだ。

事前の検査ではもう「勘」は一切使わず(当たり前だ)素直に見えないものは見えないと言う。何か視力検査て「頑張って当てるゲーム」みたく思ってたんだが本当は違うってこわかってんだけど、はぢめて素直になれました

結果両眼で

0.4

だったわ~。そうか。やはり液晶主流になってからはあまり近眼進行してないんだね。うん、上出来。だってこの黄砂舞い散る街を歩いて行って、この成績だもの。上出来だよ。実はこのへんて、花粉黄砂の季節はキツイけど調子さえ良ければ両眼0.7(免許裸眼合格)も夢じゃないレベルなんだよねこれ。片目0.3クリアを勘でなんとかごまかしごまかしできればの話だが。絶対に眼鏡が必要な視力では無い。でも逆に、もっと目が悪い人が眼鏡している状態より俺の裸眼のほうが見えてないとも言えるわけだ。何を無理してんだ俺、とも言える。

でもね、ちょっと哲学的な問答みたいだけど

実は「裸眼視力というのは『勘』による認識能力の優劣も含められる」という意見もある

要は視力というのは外部の認識能力であるわけで「勘」というか、見えるか見えないかの微妙な境界線ラインの補完能力が優れて正しければ、それはイコール視力が良いと言ってしまって良いわけだ。いや良いのかどうかは分からんが、正しく認識で来てるんなら問題なかろ?って俺も思う。だって実際は見えていても丸を☓と認識してしまったらあんたそれ視力以前の問題でしょう。視力と認識能力の繋がり部分の正しい精査方法が無い以上、「バカ」というものを含めて最終出力に頼るしか無いのだよね。

そ も そ も 視力とは何か!?というテーゼに関わるのだけども、そういった意味では見えないのを無理して頑張って見たって別にいいのだ。(?)

とはいえ、もういい加減無理するのに疲れた俺がいるわけで、だから眼鏡を買ったんだよ。いやー

見えるぜ。

ほんとうに、良く見える(たりめーだ)。うちの家族長女と俺以外皆眼鏡なんだがそれをたまに覗いては「頭くらくらする」とふざけていたが、そら他人の眼鏡だものそりゃ当たり前だった。自分用に作った眼鏡がこんなに良く見えるとは知らなかった。一人で喜んでたら我が家眼鏡一号の次女が

「初めてメガネかけると感動するよね~」

と斜め上から賛同してくれた。

末っ子(眼鏡二号)は俺が眼鏡をしていることすら見えないようだ……。気付いてくれてない。

まぁいいや。ともかく、街を歩いていてこんなに人の表情が見えるとは思わなかった。みんないろんな表情してんのね(なんだそれ)うれしいわ~明日電車乗ってどっか行こうかと思う。窓の外見てるだけで楽しそう。

リビングでお勉強は本当に良い子を育てるのか?

昨今良く言ったもんだ、で「良い子は、リビングでお勉強」とか「リビングの方が集中できる」とか、あるでしょ?

あれね。はたして根拠あるんでしょうか。本当に検証したのかな。子供三人、それぞれ全く性格も頭の出来も違うがん育ててみて思うのだけど、最終的にこの説には納得出来なかった俺。

まぁ、単に俺の子であるから「よゐこ」のレベルもたかが知れている。でもさ、少なくとも

リビングで勉強するから良い子

なんではなくて、

良い子は多くの場合何処で勉強したって良い子。

問題はある程度手をかけなきゃヤバイ子であって、その子をリビングで勉強させたら全て吉、ってことは、残念だが
無い。

いや、百歩譲って「一人っ子」もしくは「第一子」にはリビング勉強もよいかもしれない。リビングに居るのが子供一人、おっかさん一人なら確かにとてもいい雰囲気な気がする。やがて夜が更けるとおとっつぁんも帰ってくる。もしかしたらババァもいるかもしんない。いやこういう家ではおっかさんとかおとっつぁんとかBBAとか言わないよね。ママパパ()とかなんだろうな。プ。

だがね、二人、三人、それ以上となると、そいつらが皆んなリビングで勉強している様を想像してご覧よ。単なる児童館の二次会だよ。下手すりゃ動物園だよ。確かにそんななかでも集中できる子はいる。でもそれはリビング勉強が与えた集中力では決して無いと思うのよ。集中力があるからこそリビングでも勉強できるってだけ。集中力ない子(いや、そうではない。『勉強に対して集中出来ない子』)は勉強しなくなる。

これはね、つまるところ、本当に頭の良い子は”わざわざ家で勉強しない”んだよね。学校の授業で十分でしょ?それをあえて家でやるのは、学校でやっているよりその先であってね。要は興味が湧いてしまったから「好きで」「勝手に」やっているわけだ。でね、好きなコトやってるていう状態、というんは、何処に居たって集中できて当たり前なんだわ。

逆に言えば、学校でやってることが出来てない子というのは、まぁ中には勘違いな理解方向、という、向きが定まると急に良くなるこも稀にはいるけど、もうしわけない、殆どの場合

基本勉強嫌い

なんだね。そういう子がリビングだろうが子供部屋だろうが図書館だろうが「勉強する場所」だけのスイッチで勉強なんかするわきゃないだろう。リビングでは兄弟げんか、子供部屋や図書館行けば寝てるかマンガ読んでるのがデフォでしょ?

だって勉強嫌いなんだもの。しょうがないでしょうよ。こういう子を勉強させるには「リビング」とか全く無力だよ。そんなに甘く無いわってことくらい二人以上子供がいれば解るよふつー。

案外「このお馬鹿!」ってなめんどくさいガキには、気取ってねぇでよ、さっさと勉強部屋こさえたほうがモチベ上がるかもよ。

Coins

「古銭コレクション」という趣味があるでしょう?子供の頃、街のショッピングセンターとか行くと必ず1軒くらいあったでしょ、古銭ショップみたいの。

こう、あまりスペースは広くないのね。デパチカにある小さな和菓子屋よりも更に小さい横幅で、ガラスケースの中にチマチマと古銭が並べてある。ショーケースの奥には怪しげなおっさんが二人ばかり、客なんて敢えて見てないようで見ている。

和菓子屋と決定的に違うのは光の質。あっちは暖色発熱球、こっちは安っぽい緑がかった蛍光灯。でもけして暗くはない、あの魅惑的な雰囲気。

小学生位の頃って「なんかしらコレクション持っているのが正しい子供」みたいな風習があった。無理して集めている感もあるにはあったかな。今でも息子見てると思うんだが、そうしないと友達がいなくなるような。わけわかんないカードかき集めているが、本当にそれ、楽しいのか?()とも思う。

特に昭和40年代の頃って、廻りの子皆やけにコレクションをしたがっていたような気がする。

私が小坊の頃、コレクションで流行っていたのは、上の「古銭」は勿論、記念硬貨や「切手(これは濃い奴はめっちゃ濃かった)」のように、案外金銭が絡む(てか嵩む)ものから、外国のコインとか酒蓋、ビー玉、面子、駒のようにすごく子供っぽいもの、お菓子が無駄になる仮面ライダーカード(この商法は今にも脈々と続いているね)の類、そして、虫(クワガタ、カブト……これも今も盛んだなぁ)、ガチャポンの景品、マンガの単行本……

親の世代は戦後の厳しい時代、食うや食わずの子供だったせいもあるんじゃなかろうか、子供が何か集めるってぇと、モノによっては妙に協力的でもあった。切手、古銭、クワガタ、駒あたり。一方仮面ライダーカード的お菓子抱き合わせ商法やガチャポン系、マンガは当時の親は否定的だったね。PTAで問題になったり。この辺も今に通じるもんがある。あまり世相は変わってないな。

まぁ、そうして集めたものの殆どは、捨てられたり、死んでしまったりで手元に残ってないけど、おそらく、古銭や切手は捨てられるってこと無くどっかしらで眠っているでしょう?

私も決して古銭コレクターとかでは無いのだが、廻りで流行っていたもんだから、たまには古銭やでつい安い文字通りの「銭硬貨」を買ってしまったり、「ギザ10、筆5」をなんとなく、
なんの根拠もなしに
取っておいてしまっていて、捨てられないわけだ。これはマジでアホらしくも悲しい昭和の男のサガだ。

で、昨日引き出しを整理してたら。


例えばこの無駄なギザ10達がいる。
coins-02
尽く、昭和29年製である。たまに27年もある。いずれにしろ、スカだ。10円以上の価値は全くないことくらい百も承知であるにも関わらず、なんでとっておくのか俺。

さらに言えばこいつらだ。
coins-01
どうしても溜まってしまう海外の硬貨。どうにかならんのかこれ。

と上の写真左上にデカイ50円玉があるね。これ昭和40年もので、全く正しく50円である。デカいだけだ。自販機にも入らず、コンビニで出そうもんなら店員が怪訝な顔をする。使いようがない。こまったもんだ。

ちなみに50円で一番高い価値があるのは意外や意外の昭和62年製。こ汚いのでも3千円~1万円くらいヘタすると3万くらいで売れるらしいから笑えば探せばいいと思うよ(まず見つからないと思うけど)

困ったちゃんと言えばこれら▼
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もれなく100円の価値がある。合計400円だ、良かったのか悪かったのか。どう使えっちゅうねん。他にも500円より大きいサッポロ五輪記念100円とか無駄に見かけ倒しなのもあるけど、もうめんどくさいから写真は載せない。

もしかしてこういう、使うのも憚れる硬貨って全国の集めたらかなりの埋蔵量なんではなかろうか。これか?ミンスが言ってた埋蔵金て。

ただ、今回これを書くにあたってググったところ、ちょっとサランラップしたい気になるのが少しだけあった(ビンボくせー笑)

coins-04

 まず上の筆五円、筆五円は年代にかかわらず額面の3~10倍の価格で売れるらしい。あくまで状態次第だから、手持ちのはせいぜい一つ15円くらいだろうがな。ふん。

下左にあるのが、昭和7年の五銭白銅貨。これは千円以上の価値があるらしい。しかし、ちょっとまって欲しい。問題はこれをどうやって手に入れたか?だ。実は冒頭の「古銭商」の下り、これを買った店の印象だ。たしか昭和49年頃、300円位でこれを買ったような記憶がある。もうちょと安かったかもしれないけど。

あれから何年経ちましたか……全然価値変わってないんではなかろうか、いや、むしろ……はい、間違いなく損してます。わかります。

 

えー

 

で、下段右の33年モノのギザ十ね。見つけた時はさ、本当嬉しかったなぁ(遠い目)

これね、

せいぜい
60円

ふふふふふ

ふふふふふふふふふふ

捨てちゃうか(-_-メ)

悪銭身につかずとはよく言ったもんだわぃね!。

卒業

娘の卒業式に行ってきた。

かつて、

♪卒業式で泣かないと冷たい人って言われそう、
だとか
っ・・支配からのっ 
卒業

だとか (。◕ˇε ˇ◕。)♡

 色々やさぐれていた世代から見て、なんとも、
微笑ましくも、やさしくガーリィでアンニュイ、な素敵な時間を過ごさせていただいた。

あの頃のDQNなハァトってなんだったんだろう、一体俺らは何をしてきたのか、そんな思いが沸々と沸き起こる式典だった。

てか、

今の子って、皆んな明るくて楽しそう。全然殺伐としていない。なんつーか俺らの頃って「基本殺伐としてる」んがデフォだったような気がしないでもない。だってさ「愛と誠」の世界とかさ、どう冷静に考えても

オカシイ

だろう?あれ。

金八にしたって、テレビであそこまで受けなけりゃなんか違ってた生き様もあったような気もする。

「加藤!!」とかってやっぱあの時代特異だよな。

ただ、

今の子見ていて思うのだが、基本「リア充」こそ勝ち組路線まっしぐらなのがちょっと痛々しいような気もする。みんなそんな素直でいいんかな(いや、本来はそれでいいし……)。

……そんなに皆んな明るくて元気ってまじですか?

俺がひねくれすぎているのかな。多分そうだよね。親父は黙っとけって感じか。

……

まぁいいし。好きにしてとも思うけどな。